第六回  相   見

  参堂式も無事に済み、安単(あんたん・指定された自分の席に着くこと)して堂内の一員としての日々が始まる。その当時雲水は僧堂全体で三十数人居り、堂内だけでも十数人居た。誠に活気に満ち溢れ、老師もまだ六十代の血気盛んな頃で、刺として居られた。
 十月三十一日、いよいよ明日から入制(にゅうせい)。前日の今日は大四九(おおしく)と言って特に念入りに内外の掃除をし、大接心(おおぜっしん・一週間集中的に坐禅修行をすること)に備えるのである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 
午前中には老師相見″(ろうししようけん)がある。白衣、足袋、袈裟、法衣をつけ″相見香″(しょうけんこう)を赤盆の上にのせ、隠寮(いんりょう・老師の部屋)へと向う。宗旨参究の指導者である老師に、ここでやっと最初の面接となる訳で、全身緊満の固まりである。一般には春に入門の多い中、私は半年遅れの秋になってしまつたので、この時期に入る者はさすがに少なく二人切りであった。教えられた作法通りにまず相見香を床の間に供え、それを老師が空じ終わるのを待って坐具を展げて三拝。次に老師の前に低頭、そのままの姿勢で老師の丁寧な訓戒を聞く。
 私は緑あって老師が曾て小僧となり、その後住職をされていた寺の弟子になった。私と共に入門した祖門禅士は仏教系の大学院を卒業後、志をたて出家して、同じく老師のお世話で瑞龍 寺三井大心老師の弟子になった。二人とも格別深いご緑を頂いての入門であった。この時のお言葉は特に入念で、これから修行する上での心構えや、決して途中で修行を投げ出してはいけないこと等、諄々と説かれた。修行はまだまだ未熟ながらも心意気だけは誰にも負けないつもりの二人であったので、この時の老師の愛情溢れるご教示は私達にとって心に沁みるものがあ った。こうして二人で出発した修行であったが、しかし祖門禅士は三年程経った頃、突然道場を出奔、そのまま行方知らずになってしまった。あれ程真面目に修行していた彼の心の中にどんな変化が起こり、何がそうさせたのか他人が知る由もない。僧堂では同夏(どうげ)と言って同じ時期に入門した者同志は特別の連帯感を持ち、以後一生を通じて喜びも悲しみも共に分かち合う親しい兄弟(ひんでい)となる。それなのにお互い結局何の助けになることも出来なかったことが本当に無念でならない。確かに修行は容易なことではないが男が一生を賭けて飛び込んだ道なのであれば何としても頑張りぬくべきで、祖門禅士にもそうして欲しかった。優秀な人だっただけに惜しいことこの上ない。
 さてこの老師相見をもって無事師弟の契りを終えたわけで、これから老師に全てをお任せしてひたすら修行精進するのである。当時の老師は不精髭を生やし、丸々と肥えておられた。甲高い声で話してくれたあの時の様子が今でも鮮やかによみがえってくるのである。

 

 
 
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