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2018年03月27日

法話

仕事柄たまに法話をお願いしますと依頼されることがある。説法はお坊さんの大切な仕事のうちの一つと言うふうに一般では思われている。確かにその通りで、本山では特別に訓練した人を全国に派遣するというシステムが出来上がっている。そして広く一般信者さん方に教えを広めていく。その論法で、僧堂の師家ならそういうことをひっくるめてお坊さんの大将なのだから、より有難い話が聞けるだろうと思うのは、大いに間違っている。他の宗派ではどうか知らないが、禅宗の場合は、師家になるような修行ばかりをせっせと続けてきた者ほど、はっきり言って、話はへたっぴーである。良い話を聞きたいなら、専門的に訓練し、厳しいテストも合格した、いわゆる説教師さんに頼むのがいい。○○専門道場師家○○老大師、などと言う肩書で頼むのが大間違いのもとである。まっ、中にはその方面に才能があって、大いに受ける方もいるが、それは特別な人で、一般的にはへたっぴ~!と思ったら間違いない。では話がへたっぴ~なら、その○○老大師は禅僧の指導者として駄目人間かと言うと、そんな因果関係は全くない。この辺の認識の違いが、まったく困ったことなのである。というわけで、そういうとばっちりを受けて、私の所へも、何かお話を・・・・、と言ってくる。寺の和尚がお話をさせて頂くのは、当然の仕事だから、ハイハイ!と一応受けるが、本音を言えば、この認識の違い、何とかならんだろうかといつも思っている。

投稿者 zuiryo : 2018年03月27日 10:35

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