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2017年02月19日

無葬社会

知人から「無葬社会」という本を借りて読んだ。我々も葬儀のあり方が徐々に変化してきたことは感じていたが、ここまできたとは驚くばかりである。お経をあげて死者を送ると言うこと自体なくなって、死者をまるで物のように扱う考え方にはとてもついて行けない。しかしこれが実体なのである。死者の葬り方は人それぞれなのは当然のことである。例えばチベットでの鳥葬等は、初めて聞いた時はびっくりしたが、聞いてみれば、これは決して人を粗末に扱うというのではなく、彼らの死に対する考え方の違いであると解る。ブータンへ旅行した時、門前の売店で、人間の頭蓋骨を輪切りにして、それをお札入れにしていたり、大腿骨に穴を開けて、縦笛にしていたりと、一瞬エエッ!となった。生命とは輪廻転生、生まれ変わり死に変わりして、永遠に生き続けるのであって、肉体や骨は単なる入れ物に過ぎなのだから、使い終わったら再利用すると言うわけである。こう言うチベット仏教の生命に対する確たる考え方があって、この伝統に従っているのだからこれで良いのだと思う。しかし現在進みつつある日本人の死者に対する変化は、そう言う確たる宗教観も何もなく、何処かでソロバン勘定をしているように思える。いよいよ人間の生死も、ソロバンを弾くように決めていくのかと考えると、薄ら寒くなる。しかしそのようにして来たのは、宗教に携わる我々の責任だと改めて感じ、いっそう寂寞たる思いに駆られる。

投稿者 zuiryo : 2017年02月19日 10:23

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