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2012年11月11日

尊厳死

先日一ケ月遅れの達磨忌(10月5日正当は開山忌と重なるために11月にずらしている)を行った。法要の後は例によって出斎があり、山内の和尚さん方と食事をした。そのときたまたま寿命の話になった。6人のうち二人の方が72歳、次が私で70歳、後は2,3歳くらいの差で少し若い方々という年齢構成である。そこで私が、「みんなは幾つまで生きるつもり?」と問うと、72歳組は異口同音に、「まっ、だいたい75歳くらいまででしょう」と言った。「ええっ!それでは後2,3年しか残ってないじゃないですか!」と言うと、その通りだと涼しい顔をして言うでは無いか。これには驚かされた。「男の平均寿命は約80歳だから、せめてそれくらいまでと考えないのですか?」と言うと、考えないと言う。一人の方はずっと以前より自分の寿命はだいたい70歳と考え、年金も60歳から前倒しで貰っているのだそうだ。しかし70歳を超えて尚生きているので、貰う年金額が半額くらいになったという。これはちょっと予想外だったそうだ。しかしこの遣り取りで、何と欲の無い淡々とした生き方なのだろうかと感じた。私の場合は父が80歳、母が93歳で亡くなったので、二人の年齢を足して二で割ると、86,5歳となるので、自分はそのくらいまでは生きられると何となく思っている。「75歳で良いなんぞと思わずにもっと意欲を出してお互い長生きしましょう!」と申し上げた。医療技術の発達で、本人の意思に拘わらず、体中にチューブを巻き付けて延命措置が図られることに皆、絶対にそれは嫌だと言う話になった。知り合いの方の場合も体中チューブだらけ、植物状態で2年以上生きたが、それが本当に生きたことになるのかと思う。しかしそういう場面になったら本人が解らないうちに医者の方でどんどん措置をして行き、結果的には植物状態で生き続けなければならない。そこで私が提案して、「尊厳死協会」というのに入って、予め自分の意思を明確にしておけば、自分に代わって協会の人が拒否してくれるから、皆入りましょうと提案した。食事が終わって早速インターネットで検索し、申込用紙をプリントして山内和尚に配った。手回しが良すぎるかな~とも思ったが、死はいつやって来るか解らないから早いに越したことは無い。以前信者さんのおばあさんがこの会に入って居られ、話を聞いたことがあり覚えていたのである。70歳は古希というから、ぼつぼつそういう支度もしておかなくてはいけないと思ったわけである。知人友人が次々にガンでたおれて行く有様を見ていると、死はそんな遠くの話では無いような気がしてくる。備えあれば憂いなし、何事も準備は早いに越したことはない。

投稿者 zuiryo : 2012年11月11日 20:41

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