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2011年03月03日

風当たり

先日クローズアップ現代で、お寺に対する意識が変化し、檀家離れが進んでいる実体が報ぜられた。この問題は我々内部では既に相当前から危惧されていた問題で、ようやく世間一般も取り上げるようになったのだ。番組中のアンケートで、仏教に対しては関心があるのに、お坊さんやお寺に対しては、良いイメージではない事がはっきりしていた。これも相当以前から感じていたことである。何百年という伝統に支えられているのを良いことに、あぐらを掻いていたしっぺ返しである。個人的にはもっと世間の人がお寺やお坊さんに厳しい目を向けて、尻を叩いて欲しいと思っている。私の周囲にはずばずばものを言う人が居て、「キリスト教などでは年末にホームレスの人や派遣切りの人達に炊き出しをしたり、せめてお正月中くらいは温かなところで休んで貰うために部屋を提供したりと、奉仕活動を盛んにするが、仏教のお坊さんでそう言うことをしてるのを見たことがない!」と、叱られたことがある。番組の中でも、これからは話して伝えるのではなく行動を起こすときだと、いっていた。お坊さんというと、お説教・法話がイメージだが、それも大事には違いないが、現代社会が求めているのは、目に見える形で具体的に、何を社会に対して働きかけてくれたかである。先日も我々の宗派の管長猊下と話したとき、老齢化社会となって、介護の人が沢山必要になる。その時に実践出来るよう、最低限の資格を取るように運動を起こすと言っておられた。これなども具体的な働きかけの一例である。漫然と手おこまねいているのではなく、世のため人のために有効な行動を起こし、お寺やお坊さんが社会から宗教家として認められるようにして行かなければならない。核家族化が進み人の繋がりが薄れ、孤独な人が多くなってきた今こそ、我々お坊さんが活躍するときである。とここまでは前向きなことをお話ししてきたのだが、現在のお寺の実体は、殆ど世襲制で、子供は親の仕事を、僧侶の自覚もないまま嗣いでいる。うちのような僧堂へ修行に来るのも、規則で何年か居ないと、資格が与えられないから仕方なくやってくる。そう言う連中が世間に出て住職となっても、最初から宗教家としての自覚もないのだから、世のため人のためなど、望むべくもないのである。見苦しい内輪の実体を晒すのは忍び難いが、もうそんなことを言っていられる状況ではない。これは当然の逆風で、私は大いに結構なことだと思っている。そう言う中から本当の宗教家が出現すると思うからである。

投稿者 zuiryo : 2011年03月03日 19:46

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