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2006年03月11日

沈黙の伝道師

ある小説に「沈黙の伝道師」が登場する。この修道院では行が進んで来ると、以後一切の言葉を発しては成らないという厳しい掟がある。時折街の広場に出掛けて只ひたすら沈黙して佇み人々に教えを伝えるのである。この不思議な伝道師に私は大いに感ずる所があった。近年は巧みな話力で人々を魅了し道を伝えて行くことが優れた宗教家だと言う評価が専らだが、禅僧の場合は少し違うのではないかと思う。百万言を尽くしてもなお伝えられない真理を如何に伝えて行くか、これが役目だと考えるからである。ある心理学者が悩める人を救う唯一の方法は「何もしないことに全力を挙げることだ」と言っていたが、この意味は深い。言葉は一時の痛み止めには成るが根本治療にはならないからだ。「道(い)い得るも三十棒道い得ざるも三十棒」という禅語があるが、その狭間で七転八倒しながら歩む日々の行こそ迫力を持って直截に伝える事になると信ずる。自然に学べとは良く聞く言葉だが、早春の寒風に芳香を放つ梅を見ていると知らずこんな風に思えるのだ。

投稿者 zuiryo : 2006年03月11日 05:42

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