国民総幸福
 
 大国インドと中国に挟まれた人口七十万の小国ブータンの国民総幸福という考え方が今世界で注目されている。昨年国王ご夫妻が来日され、日本でもマスメディアが一斉に取り上げ、改めてこの小さな国の生き方が見直されるようになった。元世界銀行副総裁の西水美枝子氏が新聞に書いておられたのを一部引用させていただく。

『ブータンに旅をして懐かしかったという人が多い。世界銀行の仕事で初めて訪れてから十五年、細胞からにじめ出てくるようなあの懐かしさは、いまだに体に残っている。私のDNAが先祖の故郷を覚えているのだろうか』。嘗て日本は近代化を急ぐ過程で失った文明を書いた「逝きし世の面影」(渡辺京二著)が解いている。この本は幕末から明治に掛けて来日した外国人によって、日本人が西洋化に走って失ったものを生き生きと蘇らせてくれる。ヨーロッパ人の多くは産業革命の恩恵を享受し、自分たちの文明に揺るぎない自信を感じていた頃で、進歩主義に染まっていた。それが日本に来て、自分たちとは全く違う価値観ながら、整然とした社会を目の前にして驚いたのである。勿論当時の日本は貧しい時代だから、ボロを着ている人も多かった。しかしどんな貧しい農家でも、訪れた外国人に対して、縁側に腰掛けると奥さんがすぐにお茶を持ってきたり、庭からきれいな花を手折ってきたりしてくれる。世界中の多くの国でこんな事をされたらお金を請求されると思ってしまう。またヨーロッパの人が度肝を抜かれたのは、欧米の大都市が不潔で乞食だらけだったのに、日本どこも清潔で乞食もほとんどいない。井戸水を飲んでも安全で泥棒も居ないから鍵を掛けなくとも良い。物質文明は遅れていても、こうした清潔さや治安の良さ、人々の優しさと道徳や倫理においても欧米を圧倒していた。当時ロンドンは一番市民社会が進んでいると言われていたが、江戸時代を研究してみたらエコロジーや清潔さ、市民の文化の享受や識字率等々、ほとんどの点において江戸の方が素晴らしいことが分かった。また女性に対する評価が非常に高い。服装は地味で知性がありながら出しゃばったりせず、静かにほほえんでいる。彼らは決して外見を褒めているわけではない。陽気で純朴にして淑やか、生まれつき気品に溢れている点が魅力的だったのである。一八八九年に来日した英国の詩人E・アーノルドは、「日本は妖精の国のようだ」と言っている。また「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国」と語った。さらに、「景色は優美で美術は絶妙であり、神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的態度、礼儀正しさは謙虚であるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本をすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」と述べている。渡辺氏は「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の存在をできうる限り気持ちの良いものにしようとする合意と、それにもとずく工夫によって成り立っていたという事実だ」と言う。
『 固有文明への帰属意識は国民のアイデンティティーそのものである。この帰属意識こそ日本人としての安心感の礎である。その固有文明を失い、しかも失った文明が人間の幸福追求を可能にするものだったなら、近代化を目的に選んだ術の代価は大きい。さてブータンの先代国王も、固有文明を重視し文明喪失の代価を国家絶滅の危機と捉えた。その背景にはインドと中国に地続きで挟まれる地政学的なリスクを持つ国が、人口七十万どころか、まとまりにくい多言語・多民族国家だという厳しい現実がある。四世国王の勅令がある。国語や民族衣装(ブータン特有と識別できるよう改良した各民族の衣装)を奨励したものだが、四世の危機感をひしひしと伝える唯一の勅令でもある。「我らの国は小人口の小さな国であるがゆえに、国家固有のアイデンティティーを守る以外、独立国家の主権を擁護する術を持たない。富や武器、軍隊が国家を守ることはできない。…国家主権の象徴たる紛れもないアイデンティティーを持たなければ、ポピュラーな異邦文明へ傾倒し、我らの文明は絶滅する。「水が出た後、水路は造れぬ」と言うことわざ通り、ことの始めから異邦文明をさけ、我らの文明を献身的に責任を持って慣行せねばならない。政治哲学「国家総幸福」は、文明の持続的発展を国家の中心に置く。その真意が包括的な危機管理にあることを知る人は少ない。大洋に囲まれ一億数千万の人口に恵まれる日本では、文明の喪失が国家の存続に関わるなど笑い事だろうか。


アイデンティティーを持たない民は、国籍などいとも簡単に超越する。ブータンは政治の安定と高度成長を保つが故に、新天地を求める近隣民族に乗っ取られる可能性を危惧する。日本はその逆、政治と経済の低迷に後押しされる人材の流出が国家経営を空洞化するリスクがある。この数年来スーパーシチズンという呼び名の国籍を超越する中産階級が世界中で増えている。人作りが国作りではなくなる二十一世紀のグローバルリスクである。その到来に我が国の政治家が気づいている様子はない。』

 

 

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