ブータン旅行
 
 八月二十七日より八日間仲間十人とブータン旅行に出かけた。そもそもこの旅行を思い立ったのは、元世界銀行副総裁西水美枝子氏の文章に、『・・・ブータン旅行をして懐かしかったという人が多い。世界銀行の仕事で初めて訪れてから十五年、細胞からにじみ出てくるような懐かしさは、いまだに体に残っている。私のDNAが先祖の故郷を覚えているのだろうか。・・・』と言う一節に目がとまり、是非これを体感したいと思ったからである。しかし聡明な西水氏のような方だからこのように感じられたので、平々凡々の我々には無理かもしれないとも思い、お誘いするのも慎重を期した。さて旅の始まりはまずバンコクへ飛び、一晩空港近くのホテルに泊まり、翌朝午前四時起床、小さなジェット機に乗り、インド経由ブータンのパロ空港に着いた。

周囲は聳え立つ山々に囲まれ、川沿いのわずかな平地にあるパロ空港への着陸は、眼前に山が迫ってひやひやものだった。空港はこじんまりとしており、周囲はわずかな集落と後は田園風景の広がる実にローカルなものだった。季節は雨期から乾期へ移る境目にあたり、晴れていたかと思ったらあっという間に雨が降り出し、また直ぐ止むという具合だった。近くで昼食を摂り、そこから小型バスで約一時間、首都ティンプーのドゥルックホテルに落ち着いた。首都と言ってもおよそ我々がイメージする首都という感じはない。街中には信号機は一つもなく、二車線ぎりぎりの狭い道が幾つか通っており、そこに鉄筋三階建てのマッチ箱を並べたような古びた商店兼住宅が連なっている。街全体は山に囲まれ、ひしめきあうように暮らしている。歩いている人の服装は「呉」と言われ、着物を腰上げしたようなブータン独特のもので、商店の作りといい、並べられた品物など、見るものすべて、この国の貧しさが伝わってくるようだった。
翌朝午前六時、一人で市内散歩に出かけた。まだ街中はひっそりと寝静まって、殆ど人の姿は見受けられない。歩道と言わず空き地と言わず、至る所に野良犬がごろごろ丸くなって寝ている。この多さには驚かされるが、人間は死ぬと来世は犬になるという。だから犬には特に親切なのである。目の前の野良犬はご先祖様かもしれないからだ。それにしても、起き上がって何匹もぞろぞろついて来られるとあまり気持ちの良いものではない。そのうち何人か散歩の人に会ったが、ぶつぶつ小さな声でお経を唱えながら歩いている。また三間四方くらいのお堂の周りを老婆が数珠を繰りながらお経を唱え回っていた。小窓から中をのぞくと中心に巨大なマニ車があり、隅っこでお坊さんがお経を唱えている。ブータンの人にとって朝一番にすることは仏さんにお経を唱えることのようだ。しかしその一方では少し若い人になると、ウオークマンのイヤホンを両耳にして散歩する姿も見受けられた。いずこも老人と若者の意識の違いはあるようだ。 さて市内観光に出かけた。最初にこじんまりしたお寺に行った。小さな塔が建っていて、その周りを沢山の人がお経を唱えながら回っている。殆どの人は小さなマニ車をくるくる回しながらだが、中には友達同士世間話でもしながらと言う人も居る。我々も皆に交ざって二,三周お堂を回って外に出ると、門の直ぐ左に、粗末な台に種々雑多な品物を並べて店開きをしているお爺さんが居た。日本人観光客を見てしきりに勧めるかと思いきや、ただ座ってにこにこしている。暫く覗いていると小ぶりなお椀にお札がてんこ盛りになってるのを指して、持ち上げてよく見ろと言う。何事かと高く上げて下を覗き込むと、なんとその入れ物は髑髏だった。驚いて、何故お札を髑髏などに入れるのかと聞くと、お札が清められるからなのだそうだ。次に人間の大腿骨が数本立てかけてあった。これは何かと聞くと、笛だという。骨の笛から出る音は清浄なのだそうだ。お骨に対する考え方が日本人とはまるで違うのだ。
 次に伝統手工芸院を見学後、タシチョ・ゾン(ゾンとはお城のことで、敵からの防衛のための施設なのだが、その中心に頑健な縦長方形の分厚い壁に囲まれた建物がある。その中は立派な寺院になっていて、巨大は仏像を中心に左右に、昔の高僧の像が祀ってある)へ行った。ガイドさんの説明後、各自お賽銭を大きなお椀のような物に入れ、僧侶から清水(せいすい)を右手に受け、口に少し含み残りを脳天にかける。それから皆でお経を上げ、ブータン式三拝をする。以後何カ所かのゾンではすべてこのパターンでお詣りをした。ティンプーでの見学を済ませ、翌日早朝より小型バスに乗ってひたすら山道をひた走り、標高二千数百メートルの峠ドチュ・ラに着いた。晴れていればここからブータンヒマラヤが一望できるそうだが、生憎深い霧に包まれ何も見えない。峠の頂上には百八つの小さなお堂が建っている。そこからは下りになるのだが、道の悪いことと言ったらない。座席にしがみついていなかったら吹っ飛ばされそうになる。バスに乗っているだけでも重労働だ。朝出発して午後漸くプナカに到着した。さっきまで小寒かったのが嘘のよう、ここはまるで熱帯で、バナナやマンゴーがたわわに実り、路の両脇にはサボテンが茂っている。昼食後再びバスに乗ってプナカ・ゾンへ行った。なだらかな山に囲まれた川沿いの道をくねくね曲がりながら進むと、辺り一面棚田が延々と広がっている。なんだか遙か昔の日本の農村風景のような感じがした。さてプナカ・ゾンは大河の合流地に建っていた。大きな木造の橋を渡り数十段の階段を上ると巨大な城塞兼寺院が屹立していた。今回我々が訪れたゾンの中でも規模も最も大きく、特に寺院の中は柱から天井まで黄金に輝きその豪壮さは群を抜いていた。ガイドさんは障壁画を一つ一つ丁寧に解説してくれた。また我々と一緒にお賽銭を献じ、清水(せいすい)を受けお詣りをする様子は、仕事としてよりも、自分もこころからお詣りをしている雰囲気が伝わってきた。仏教の教えが先祖代々、彼の細胞の中まで染みこんでいるように感ぜられた。お詣りを済ませ再び来た道を戻って漸くホテルに落ち着いた。部屋からの眺めは、大きな川が滔々と流れ、その向こう岸の山の遙か上まで延々と千枚田が連なり、実に美しい景色である。眺めているだけでも心がほっとした。
旅もいよいよ終わりに近づいた。最後の大難関、標高三千メートルにあるタクツアン僧院のお詣りが待っている。説明会の時から必需品に登山靴やストックの用意を言われ、それなりの覚悟はしてきたものの、参加者は殆ど七十歳前後の老人ばかりで、何人無事にお詣りできるか案じた。いざ登り始めると、その厳しさは言語を絶し、ガイドさんからは、此処をお詣りしなければブータンに来た甲斐がないと言われたので、全員死にもの狂いで登った。午前九時に歩き始め、下山したのは午後四時だった。大岸壁を剔るようにして伽藍が作られている。昔ここの洞穴で高僧が修行したのだそうだ。全体で三ヶ所に分かれて居て、中の急な階段は一段一段が高く、もうヘトヘト、此処まで這いずるようにして来た上にこれだから、勘弁してくれ~!と叫びたくなった。こんな過酷なお詣りだったが、今回の旅行を通じて一番心に染みて有り難く思った。

私は最初に西水氏の文章を引用し、本当にこんな気持ちになれるものか疑ったが、ブータンの旅は間違いなく、嘗て私の体の中に受け継がれてきた先祖のDNAが今なお息づいて居るのだと確信した。現在のブータンは貧しくおよそ物質的な豊かさなどどこを見渡してもないが、富や武器で国を護るのではなく、国家固有のアイデンティティーを守らなければ、我らの文明は絶滅すると断言した国王の言葉の重みを肌で感じた旅であった。心がじ~んと温まるような気持ちになったのは、ブータンの人々の根底に篤い仏教信仰があり、日常のすべてがそれを中心に行われているところだと感じた。人々の得も言われぬ優しさに遇い、改めて信心について考えさせられたのである。

 

 

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