共に食する楽しさ
 
 私には公式的な会議に出る機会はあまりないが、それでもたまに本山へ出向することがある。会議の内容といえば堅い話で、特に世俗に疎い者には口を挟む余地もないのが実情だ。一通り話し合いが済むと、大抵門前の精進料理屋で一杯と言うことになる。少し酒が回り出すと、口も軽くなって、お互い本音が出てくるので、しかつめらしい顔をして延々会議をするより余程実り多いこともある。よく待合い政治が取り沙汰され、怪しからんというが、必ずしもそうとばかりは言えない。共に食事をしたり一杯飲むとお互いの垣根が取り払われて、本音でものが言えるからである。結局此処で話しが決まることさえあるようだ。本音と立前と言うように、本音を引き出すには、共に食事をし適当にアルコールが入ると良いようだ。そんなのは不謹慎だという人もいようが、まっ、そう目くじら立てることもあるまい。

最近大変親しくさせて頂いた人が癌で急逝された。私とほぼ同年齢の方だから、六十代の死は余りにも惜しい。企業家として大変忙しく活躍され、一方では芸術文化に造詣が深く、工場敷地内に美術館まで建てて、絵画展や音楽会などを定期的に催し、多くのフアンから喜ばれていた。また他方、ワイン通、食通でもあり、私はこの方にどれだけご馳走になったか知れない。嘗ての私はワインなど飲んだこともなく、ましてや味の良し悪しなど、皆目分からなかった。そんな私がワインについて結構味わえるようになったのもこの0氏のお陰である。加えてそれまで料理といえば日本食専門だったのが、外国の様々な味を教えて下さったのも矢張りこの方のお陰である。二人ともスポーツジムで運動する仲間だったが、顔を合わせると、「今晩一緒に食事はどう?」とよく誘ってくれた。これは私の食事が精進一辺倒なので、たまには栄養を付けてやらなければという配慮なのである。こうして考えてみると、0氏とは一緒に食事をすることから交流が始まり、世の中のこと万般に渡って、私の知らない世界を教えてくれたのである。
  またこんな出来事もあった。年末、「今晩夕食を一緒にしませんか。」といつもの誘い。「有り難うございます。」と言って出掛けると、なんとその日は一家揃っての忘年会だった。ご家族団欒の中に私一人が割り込む格好になってしまったが、既に存じ上げている方々ばかりだったこともあり、すっかりうち解けて、お互い遠慮無くワイワイガヤガヤの大宴会となった。この時は鍋物だったが、何とこちらのお宅では全員が鍋奉行で、やれ野菜を入れろ、いやまだ早い、魚だ豆腐だなどと、まあ喧しいことこの上なし。その合間に、「飲め飲め!」と勧められているうちに、どれだけ食ったか飲んだか訳が分からなくなって、気が付いたら壁を伝ってトイレに行くほどの酩酊となった。その日は遅くなることも分かっていたので宿を取ってあり、兎も角タクシーに乗せられたところまでは覚えているが、その後の記憶はぶっつり途切れている。気が付いたら翌朝で、ちゃんと着物は脱いで布団を被って寝ていた。気が置けない0氏ご一家と食事を共にしたことで、それ以降は一層親しみ深くお付き合いさせて頂いた。今尚懐かしく想い出される。
ところで以前鎌倉で住職していた頃、四年間ほど本山の事務所に勤めたことがある。そんな折、京都の業者T氏がやって来て、事務的な遣り取りをした後、ぼつぼつ失礼と言うときに、たまたま管長猊下が事務所に顔を出された。今ではどういう切っ掛けでそうなったのかも忘れてしまったが、ともかく管長さんの発案で急遽三人で会食することになった。管長さんのおごりだから嬉しいようなものだが、偉い方との食事は肩のこることだし、大体そのT氏ともさして親しい仲でもなかったので、一層重たい気持ちになった。しかし逆らうことも出来ず、料理屋や足の確保など段取りをして、先方に到着すると、いざ食事が始まった。ところが管長さんは全くの下戸で、一応T氏を接待するという立前であったから、私がしきりに勧めることとなった。

こんな堅い席では何を食べても味がしないな〜と内心諦めていたら、彼が何とも不思議な話を始めた。T氏は嘗てあの有名な松竹新喜劇の藤山寛美のマネージャーをしていたというのだ。勿論今は袂を分かっているわけだが、お酒も入って口も滑らかになり、昔の裏話をいろいろしてくれたのである。それは波瀾万丈、奇想天外、次々に飛び出してくる話しは、我々の範疇には全く納まらない夢物語を聞かされているようで、息を呑んで聞き入った。寛美と言う役者は実にはちゃめちゃな性格の持ち主で、常識とはかけ離れた奇行振り、金銭感覚など、ど外れていたようだ。細かく言うのも憚るが、こう言う滅多に聞けない話を聞けたのも、食事を共にしたからである。一緒にものを食べて何かを感じ合うというのは、他の動物にはない人間特有のコミュニケーションなのだそうだ。共に食するのが人間であり、あれやこれやと話すことあり、聞くことありが人間なのである。「近いうちに!」と声を掛けられたら、心待ちにしたいものである。

 

 

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