養生訓
 
人生如何に生きるべきかは大変重要な問題である。地位や名誉、財産その他諸々を我がものにすることは、当に男子の本懐といえる。しかしそれらが全て達成できたとしても、尚最も重要な問題は心身共に健康であることに尽きる。特に後期高齢者にとっては、これから如何に元気で長寿を保つかは、何よりも重要課題である。そこで貝原益軒の「養生訓」を参考にして考えてみよう。
人生の達人とは自己が楽しむことを知る人といえる。我々禅僧は苦修を尊ぶ。「苦しみその内に楽しみ有り。」で、苦があるから楽があるのだと考えるのである。昔、インドの快楽主義者は一切苦しいことはせず、徹底的に楽しいことだけをし続けたそうだ。しかしその行き着いた先は楽しいことが苦痛になってきたのだという。そこで、苦しむことこそ快楽だと悟り、爾来一生懸命苦しいことを探したそうだ。皮肉な話だが、確かにこれは真理である。「美食飽人の喫に中らず」というように、どんなご馳走でも腹一杯の者は見向きもしない。だからここで云う自己が楽しむことを知る人生の達人とは、そう簡単な話ではないのである。

近頃流行の高級ケアハウスをご存知だろうか。広大な庭園にホテルのような建物、温泉付きの快適な部屋、豪華な食事。様々なサークルがあって、楽しい仲間も出来、毎日極楽のような日々を送ることが出来るという。これこそが人生最高の快楽と盛んに宣伝している。本当にそうだろうか。友人は、親に早く死んで貰いたいと思ったら贅沢なケアハウスに入れることだ、と言っていた。つまり、成すべき目標を失い、だらだらと死を待つのみの人生など、生き甲斐も心の張りも何もない。ただ食って垂れているだけではないか。そうなると人間は生きる意欲も失われ、早死にするというわけである。知人で、目下七十五歳、現役ばりばりの企業家兼農園経営までされている人が居るが、側から見ても少し働き過ぎではないかと心配になる。ところが本人はいたって元気溌剌、苦労しながら頑張っておられる。まさに高級ケアハウス生活とは対極にあるわけだが、こちらの生き方の方が楽しく充実した人生を送られているように見える。「暫時に在らざれば死人に如同す」という禅語にあるように、一見極楽のように思える日々は、実のところ失礼ながら、生きながら死んでいるのではないかと思えるのだ。
さて話が横道にそれたが、貝原益軒は先ず第一に旅をすることだと云っている。『名勝の地、山水のうるわしき佳境に望めば良心を感じ起こし、徳をすすめ知をひろめ、目を遊ばしめ風土を問い、名産その味をこころむ、いとめずらしく、なぐさむわざなり』。人から旅に誘われたら二つ返事で、「行く!」と言うべきである。ただし、温泉へ行ってのんびり湯に浸かってご馳走を食べてと言うのは、止めた方が良い。いくら良い温泉だと言っても一,二回も入れば充分だし、ひなびた山奥も一遍見れば飽きる。ご馳走だって毎日食べていたら嫌になる。つまり良心を感じ起こし、徳をすすめ知をひろめるような旅をしなければならないのである。
次に旅に付きものの酒である。『酒は天の美禄、少し飲めば心を寛くし憂いを消し、元気を補い血気を巡らし、人と歓を合わせその益多し。但し酩酊は人の見る目も見苦しく、慎み無く心荒らしく狂するが如し。その上病を生じ大いなる災いとなる。酒は微酔に止めるべし』。益軒先生の言、ごもっともで、これ以上差し挟む余地なしである。しかしこの通り行かないのが現実で、つい飲み過ぎ酩酊の余り我を忘れ、とんだ失態をしでかす。これが人間の弱さで有り、また人間味といえよう。目くじら立てて憤るのも大人げない。まっ、自ずから許容範囲はありますが。「酒無くてなんの己が桜かな」、猿でも酒を飲むそうだから、一滴も飲めない人ほどお気の毒なことはない。

 さて次は読書の楽しみである。『山林に入らずしてこころ閑かに、富貴成らずして心豊けし、大和の史を見れば遠きいにしへの跡、目の当たりに明らかに見て、我が身恰も其の世のある心地して数千年のよはひたもてるが如し、古き書を見ず古き道を知らざるは、万の理に暗し、諸々の事を知らず、夢見て覚めざる如く迷いて一生を過ごす、これ大いなる不幸なり。読書の一事は友なくひとり楽しむべし。室の内に居て天下四海の内を見、天地万物のことわりを知る』。私も小さい頃から読書が大好きで、暇さえあれば本を読んでいた。専ら小説だったが、近年は歴史書を好んで読む。益軒先生の仰る通り、部屋の中にいて天下国家を知る事が出来、こんな楽しいことはない。興味の沸くままに、徹夜で読むことさえある。
  最後に健康を保ち養生するに大切なことは何であるか。それは怠けないことである。努力すべき事を良く努力し、体を動かし、気を循環させるのを良しとする。また「畏れる」と云うことである。天道を畏れ慎んで従い、人欲を畏れ慎んで我慢する。畏れと慎み、これなくして心身の健康は保たれないと肝に銘ずべきである。「忍ぶは身の宝なり」忍ぶとは欲を制すること。怒りと欲とは忍ばなければならぬのである。

 

 

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