感動する脳
 
 ある病院の先生の話を聞く機会があった。お話しによれば、加齢による物忘れとボケとは全く別物だそうだ。私も近頃物忘れが酷く、片付けて置いたものが、いざ必要なとき探し出せず困ったり、無意識のうちに置いてしまった眼鏡や腕時計の所在が解らず、ほとほと困り果てることがある。そんな時、この調子で老いていったら将来は認知性老人になって真っ暗闇だと、ぞっとすることがある。しかしこの話を聞いてから大分自信がわいてきた。では何故ボケるのかだが、それは「感動」がなくなることが原因らしい。アインシュタイン日く「感動をやめた人は生きていないのと同じことである」禅語にも、「暫時に在らざれば死人に如同す」という言葉がある。この間、友人に誘われ、イギリスとアイルランドへ旅行してきた。一行十九名の中に、八十九歳のおばあちゃんが一人参加された。ご家族の方々は高齢を心配されたようだが、本人はそんなことは一行気に掛けず、旅の間中、元気溌刺であった。さらに驚いたのは実に頭脳明断なことである。凡そボケなど微塵も感じさせない。聞くところに依ると、現在、月二辺京都まで出掛けて習字の稽古に励んで居られるそうで、その外ラジオのフランス語講座で勉強中とも聞く。まさに知的好奇心の塊のような方である。この様に幾つになっても好奇心旺盛なことが、ボケずに元気でいられることのようだ。そこで大いに旅に出ることをお奨めしたい。沢山の人と出会い、初めての景色を眺め、味わったこともない料理に舌鼓をうち、新しい発見に感動する。新しいことに出会うと知的好奇心が刺激され、意欲が湧いてくる。そこから新たな創意工夫も生まれるのである。

今回の旅行でも、アイルランドの首都ダブリンへ行ったとき、ここはあの有名なギネスビールの本場である。早速街一番の美味しいギネスを出すパブに繰り込み、集合時間ぎりぎりまで粘って飲んできた。味はと言えば何だか煎じ薬のようだったが、何事もものは試しで、やってみなければ解らない。こんな些細なことでもいい経験だった。
 また昨年二月には、仲間の和尚連中十一名で中国祖跡巡拝旅行に出掛けた。そもそもこの旅行を発願したきっかけは、友人のT老師が十数年かかって中国各地を経巡り、誰一人顧みられなくなった祖師方の旧跡をこつこつ訪ね歩き、克明な記録を残し、それを自主出版された。真新しい本を頂き、一気に読み進むうちに、いつか必ず私も祖跡巡礼の旅に出掛けようと思った。公案に登場する、当にその現場に佇んでみたいと思ったからである。第一回目の旅は、それはそれは印象深いものだった。このように、唯本で読むだけではなく、実際に足を運んでじかに感動を味わうことがどれほど心を刺激するか知れないのだ。一方その反対に、人から幾ら旅に誘われても、所謂出不精と言う奴で、話しに一向乗ってこない人が居る。こういう人は万事に消極的で、面倒くさがりで、益々内へ籠もるから、意欲も湧かずボケへ直行便だ。兎も角新たな事柄に絶えず挑戦して、溌刺とした気分で居ることが重要である。
 脳科学によれば、脳は壱千億もの細胞で出来ており、脳は学び続ける性質があるそうだ。例えば長時間勉強をしていて、集中力もなくなってきたから、少し頭を休めようとしばしぼ〜としたとする。確かに数学の数式を思い浮かべることは止めたかも知れないが、この時にも脳の中は考え続けている。たとえ眠っているときも学び続ける。大切なことは脳には定年がないと言うことである。感動のある限り変化し続け進化し続けるのだ。無から有は生まれない。真っ白なキャンバスに突如として素晴らしい絵が生まれたり、新しい五線譜に次々音楽が生まれるなどと言うことは絶対ない。創造は体験が基礎になって生まれるのである。

  又最近の脳科学で解ってきたことは、昔は脳は記憶、計算、分析などを専ら司ると考えられてきたが、心の持ちようも脳が拘わっていることが解ってきた。つまり心=脳なのである。前向きに生きる、意欲的に生きる、これらが脳のメカニズムに組み込まれると言うことが解ってきた。意欲的な脳の状態を作っておけば、さし当たって具体的な目標はなくとも、脳のインフラが整備されれば、自然にやる気が出て、自信を持った脳の状態になるのである。
 人生とは誠に不確実の連続で、先のことなど誰にも解りはしない。その不確実に対して、前向きに戦う力が自信である。自信は心の持ちよう一つで決まるのである。その為には最初に申し上げた通り、暫時に在らざれば死人に如同すで、常に好奇心を旺盛にして、脳を感動させておくことが肝心である。結果的に、これが自然にボケに陥らないことに通じ、人生を充実して過ごすことに繋がって行くのである。

 

 

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