スケッチ
 
 七、八年前から、老後の楽しみにと絵を習い始めた。良い先生にも恵まれ、月二回のペースで、仲間六人と目下勉強中である。お寺に集まり稽古をする関係で、画題は花や果物などの静物中心になる。ところが段々欲が出てきて、外へ出掛け風景を描いてみたくなった。そこで同じ趣味を持つ義理の兄と連れだって、奥飛騨方面へ二泊三日のスケッチ旅行に出掛けた。お互い実力は互角、さていざ描く段となり景色を目前にして、何処をどう切り取って絵にしたらよいか二人とも迷ってしまった。つまりここが静物と景色の決定的に違う点である。最初は錫杖・笠岳などを描いたのだが、この場合は比較的主題がはっきりしているので、構図が直ぐに決まった。しかし次ぎに場所を変え、蒲田川畔や平湯大滝、その他田園風景などを描こうと思ったら、全くお手上げ状態になってしまった。
 それから暫く経った後、今度は先生を伴って友人三人と白鳥、高山、福地方面へ出掛けた。白鳥の阿弥陀ケ滝では、滝をほぼ正面から一枚、少し下がって渓流を一枚描いた。難しいのは滔々と流れる水をどう描くかで、水は元来無色透明なので、それが周囲の色を写して様々に変化し、又しぶきを上げて真っ白にもなる。透明な部分は下の岩が透き通って見えるが、しぶきは真っ白に泡をたてて流れ下っている。この場合白い飛沫の部分は何も塗らずに残すのだが、ただ白いままでは単なる塗り残しにしか見えない。しかも渓流は岩に当たって様々な角度に流れている。では先生はこれらをどう色で表現してゆくかと言うと、微妙なバックの岩の見え隠れを鉛筆で描き分けておられた。

これもやり過ぎれば黒色ばかりが目立ってしまい、しぶきの感じが出なくなる。その兼ね合いが誠に妙を得ている。「水と岩の際をよく見て描きなさい。」と言われたが、いざ描き分けてゆく段になると、なかなか難しい。また渓流のゴツゴツとした大小様々な岩も陰影が肝心で、「画面全体の陰影に繋がりがなければ駄目です。」とも言われた。つまり自然に出来る影には必ず統一感があるはずだというのだ。一見ばらばらに見える影も、却ってはっきり見えないように目を細めて見ると、全体像が浮かび上がってくる。その記憶の覚めないうちに紙に写し取ってゆくのである。また、いとしろ字上野という集落では田んぼと林、バックに山、一見何処にでもある景色を描いた。先生にどうしてこの景色を選んだのですかと尋ねると、「林の前のあぜ道に沿って連なる黄緑のラインが美しく、絵を引き立たせるからです。」と言われた。我々素人は得てしてスケッチポイントというと、直ぐに絵はがきのような構図をイメージするが、必ずしもそうではない。色の変化の美しさから選ぶというやり方もあるのだと知った。
 今回の旅の最後は古川町、疎水沿いの旧家の連なる家並みを描いた。石橋に腰掛け三人並んで描き始めると、悠々と泳いでいた鯉が集まってきて、頻りにばしゃばしゃと跳ね上がった。まるで我々の絵を見たがっているようだった。画面中央に疎水を描き、右に家並み、左に石垣を描いた。これが聞きしに勝る難しさで、何軒もの家が急角度で連なっているので、描いているうちに何軒目の家なのか分からなくなりお手上げ状態になってしまった。「家を描くのは簡単です。法則を守って描きさえすれば、どうっと言うことはありませんよ。」と先生は仰るが、我々にはその法則とやらが一体どうなっているのかさっぱり分からず、最後にはやけっぱちになって、家も二、三件吹っ飛ばして描いた。ここでも立体感は陰影で表現するのだが、実際に見える影はそんなにはっきりしているわけではなく、これらを綿密に拾って描いてゆくのは至難のわざである。

 今回は一泊二目で合計七枚描いた。それだけでもうくたくたになり、精も根も尽き果ててしまった。そこで「先生はこう言う時、一体何枚くらい描くのですか。」と質問したら、「一番頑張った時で、二十枚くらいかな。」と仰った。過去に体調を壊され、一週間絵を描けなかった時があったそうで、その時は描くことが出来ないためにストレスが溜まって、本当にまいったそうだ。何事もプロというのは凄いものだ。七枚くらいでくたくたに成っているようでは、とても絵描きには成れない。我々は描けば描くほどストレスが溜まってしまったが、描けない苦しみがあるとは恐れ入った。その時ふっと、坐禅のことが頭に浮かんだ。私は外出から疲れて帰った時は、いつも机の前の単布団で坐禅を組む。すると全身から疲れが抜けて良い気持ちになる。一般に坐禅は苦行のように思われているが、私にとっては楽しい一時である。何れの世界も 同じで、その道のエキスパートならば、苦痛など飛び越えて、その深奥にある楽しみを見出す。究極のところはいずれも 同じである。

 

 

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