2000年6月 詐欺師
 
 或る時管長猊下の居られる小方丈へお邪魔した。応接間に六十過ぎの恰幅の良い人が居た。彼は私をつかまえると、お茶を飲みながら次々に話を始めた。まずは弁護士であること、東大出であること、更に兄弟はそれぞれ皆東大出身で裁判官、或は警察の幹部という優秀な経歴の持ち主ばかりであること、次から次へと止めどもなく自慢話は尽きることがない。その頃の私といえば山奥の道場で修 行をしていて、毎日が坐禅や作務、托鉢などの繰り返しで、世間が今どうなっているのか知りもせず又関心もなかった。そんな訳でこの人から矢継ぎ早に色々聞かされボーッとしていた頭が益々ボーッとしてしまった。まるで立て板に水という按配で、さすがに東大出は違うわいとただただ感心させられた。
 その頃妙心寺では数年後に大法要を控え、その費用の捻出に頭を痛めていた。当然多くの人に寄進を仰がなければならず、そのためにはどうしても大蔵省から特別な優遇措置である免税措置″を受けたいと願っていた。

ところがこういった特別措置は余程工夫しなければ許可されないのである。何とか良い人は居ないものかと思案に暮れていた丁度その時遣ってきたのが件の弁護士であった。陣頭指揮を取っていた管長さんは願ってもないことと早速事情を話し彼に協力を依頼した。即座に、「お引き受けいたします。私に全てお任せください。必ず免税措置を受けられるようにします。」太鼓判を押す勢いに皆大喜びした。直ぐ彼には妙心寺顧問という肩書きで仕事をしてもらうことになった。
 私がこの時彼に会ったのはこういう遣り取りがあってから、既に何ヵ月かが経っていた。そしてその時は前述の通り茶飲み話しをして別れただけだった。その後私は道場に戻り相変らずの修行生活に明け暮れていた。当時の管長さんは道場の住職も兼務されており、何か行事がある毎に必ず妙心寺から帰って来られた。そんな或る日部屋で私と侍衣さんとで色々話すうち、あと件の弁護士のことが 話題になった。「変なことを言うようですが、どうも私はあの弁護士が胡散臭いような感じがしてなりません。」と言うと、これを聞いた侍衣さんは「お前さんはこういう山に籠もってばかり居て、世 間というものも知らないくせに何を言うか!あの人はすごいんだぞ!この間も免税措置をお願いに大蔵大臣に会いに行ったが、その時大臣の部屋に入るなり、『やあ!やあ!大蔵大臣』と言って肩を 叩き合っていたんだぞ。」「そうかなー。 私の見方が間違っているのかな?しかし何か変だ。」こんなやり取りがあってから又何ヵ月かが経ち、私は話をしたことさえすっかり忘れてしまっていた。それから暫く後、侍衣さんが道場に帰られた折りきまり悪そうに声をひそめるとこう言った。「例の弁護士な!、あれは真っ赤な嘘で、弁護士でも何でもなかったんだ。ただの詐欺師だよ。」或る日忽然と姿を晦ましたということであった。幸い大きな被害を受けることもなく、結局詐欺師としては良い餌に有り付けず、これ以上居ても無駄と諦めて退散したらしい。管長さんを始め多くの方々がまんまとして遣られたわけだ。しかし何故私だけが彼の嘘を見破れたのだろうか。
 思うにこれは私が全く無欲だからである。つまり私にとっては何の利害もなく、直截に彼を見ることが出来たからなのである。人は喋る言葉の内容もさることながら、その時の音色、喋り方、顔つき、しぐさ、目の色、手つきに至るまで周辺の事柄が全て真実を語るのである。私のような一介の修行者に、言わずもがなをべらべら喋らなければいられなかった彼の心中を、期せずして私は見破っていたのだ。

 話しは飛ぶが、修行時代にこんなことがあった。川辺という農村地帯に托鉢に出掛けた折り、或る家の軒先に立ち喜捨を請うた。お爺さんが家の奥から覚束ない足取りで、お米の一杯に詰まった舛を持って出て来た。『こぼれそうだなー』とはらはらしていたら、案の定もう少しというところでぼろぼろとこぼれてしまった。私はすぐその場にしゃがみ込んで土にまみれた米粒を丁寧に拾い始めた。すると老人は言った。「我々は目に見えるものにだけ欲を渇いていればいいんだが、おっさま達は目に見えんものに、欲渇かんならんでなー。」確かにその通りなのである。目に見えないことに欲を渇くとは、心中の鏡が曇らないようにいつも綺麗に磨いておくことである。ところがこれがいざ自分のこととなると、鏡は途端に曇ってしまう。つまり身贔屓との戦いになるからだ。誰しも自分が可愛いく、その自分と戦わねばならぬのだから事は難しくなる。しかも鏡は繰り返し一生涯磨き続けなければ忽ち曇ってしまい、真実を写しだすことは出来なくなるのである。

 

 

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