1998年1月 豊かさ
 
 現代は物が溢れている。一年も経つと忽ち納戸は一杯。それも大半は差当って必要な物ではないから、結局厄介な荷物が増えるばかりで処分に困ってしまう。しかし考えてみればこんなに物で溢れかえるようになったのはごく最近のことで、物の無い時代もあった。特に戦中戦後の物資不足は酷いもので、食糧難時代は相当長い間続き、ともかく何でも良いから腹一杯食べたいというのが一般庶民の願いだった。
 私の家は商人であったから、専ら”代用食≠ホかりだったが、田舎暮らしのお陰で飢えることの無かっただけ増しな方である。今でも想いだすのは、ばあやが誕生日になると好物の牡丹餅を作ってくれたことだ。その日は道草も食わずに学校から飛んで帰ると、小豆を煮ている甘い香が家中に漂っていた。早く食べたいばっかりに、ばあやと一緒に、べたべたの小豆をほかほかした御飯に丸めた。そ の牡丹餅の美味しかったこと。当時は牡丹餅一個にも感動出来たのである。
又男の子の遊びといえば大抵が野球であった。近くの神社の小さな原っぱで暗くなるまで三角ベースをやって遊び惚けていた。少し大きくなると軟球で、これはさすがに素手で受けるには少々痛い。グローブがあればと思うが我が家にそんなものを買う余裕はない。そこで父はスポーツ品店に行き、ウインドウに飾ってあるグローブをしげしげと眺めると家に戻り、夜業 仕事に布で作ってくれた。その手袋の親方みたいなグローブを見せられて、子供心にもこりゃちょっと格好悪いなー“とは思ったが、父の一生懸命に作ってくれた姿を見ているから、そんなことはとても言えないという感じだった。
 この様に日常生活は万般に渡って厳しいもので、お互い必死で生きていた。そういう中から発せられる言葉や行ないは心の奥深い処から出てくる。だから子供たちの心の奥深くにまで自然に届くのである。家族には共に歯をくいしぼって頑張り、助け合い辛抱し合いながら、日々培っていた心の絆があった。よく昔の親は偉かったという人がいるが、確かに身を削るようにして頑張ったのだから偉か ったには違いない。だが反面、時代がそうせざるを得なかったという側面もあるのだ。つまり貧乏が気づかぬうちに人間を育て、子供達にも深い感動を与えていたのである。
 さて今日に至ってはどうであろうか。初めに申し上げた通り物質の豊かさの中に埋もれている。さりとて昔に遡って暮らすことなど出来はしない。生れた時から物で溢れ返っている現代の子供達には、物によって心を伝えてゆくことなど出来ないのである。ではどのよな手立てがあるのか。自分の子供に心の財産を与えたいと思うのなら、先ず第一に親自身が謙虚に自分の足元を見直すことだ。つまり自分は今どう生きて、何を拠り所にして いるのか考え直すということである。自分自身に生きる哲学がなければ子供を引き付け感動を共感することは出来ない。考えてみると現代社会とは何とも厄介で難しいものである。これも皆豊かさがいけないのだ。
 現代その感動体験ができるところといえば禅の専門道場をおいて他にはない。食事一つとっても、朝は麦のお粥に漬物、昼と夜は麦飯に味噌汁と漬物、これが食事の全てである。今日こんな献立で毎日暮らしている人など一人も居ないだろう。それでは皆栄養失調になるかと言えばそんなことはない。朝は午前三時半に起きて、日中は薪割りや掃除や畑を耕したりという肉体労働をする。また夜は遅くまで坐禅を組む。こういう日課を繰り返す のだからエネルギーも相当使っているはずだが、ちゃんと元気で修行できるのだ。

 禅堂内の生活は朝から晩まできっちり管理され、すべて団体行動である。分刻みで日程が消化され、凡そプライベイトな時間などというものは無い。一人切りになれるのはトイレの中だけというわけである。こうして一定期間この様な生活をして、我が家に帰ると自分の自由な時間が持てるという有り難さを知る。我々は時間にただ流されて、本当に自分のために使い切ってはいないのだ。禅堂生活 を通して目に見えない時間というものを見、時間に飢えるということを学ぶ。こうして人生をただ漫然と送るのではなく、主体的に生きるとはどういうことなのかを知るのである。このように日常生活の万般にわたって一度徹底的に何も無い ″という経験をしなければ人は駄目になる。そこから初めてあらゆる事柄の本質が見えてくる。物が豊かになり、日常が極めて快適で便利になったということは、実はその裏では大切な、人間が生きることの価値を見失っていることでもあるの だ。本当の意味の豊かさとは何かを、お互いにもう一度考え直してみては如何だろうか。

 

 

ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.