1995年12月 「世尊良久」(せそんりょうきゅう)
 
 ある時お釈迦さまの処に一人の外道がやってきた。外道というと正しい道から外れた者というように思うかもしれないがそうではなく、お釈迦さま以外の教えを唱えている者という意味である。当時はそれぞれの論理を以て一派を成していた者が九十六種もあったと言われている。そして次のような質問をした。「口で説くことが出来るようなものは本当の真理で はない。だからと言って黙っていたので は真理は表現できない。そこで有言でも なく無言でもなく、お釈迦さまの教えを お示し項きたい。」何とも難しい問い掛け である。一切経は五千四十八巻、文字に すると五十億二万一千八百十八字あると言われている。こんな膨大な数の言句を以てしても、真理とは尚伝えることの出来ないものなのである。教外別伝、不立文字、直指人心、見性成仏(きょうげべつでんふりゅうもんじ、じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)と言う。本来文字では表せないもの、それがお互いの心性なのである。
 では何も言わない処に宗旨があるのかと言うことになる。昔から禅僧は余分なことはぺちゃぺちゃ喋るなと言われているが、だからと言って黙っていたのではただの木偶の坊になってしまう。卑近な例で申し上げると、皆さんのご家庭でも、親は子のために良かれと思っていろいろ説く。特に我が子にだけは自分の苦い経験の二の舞はさせたくないと言葉の限りを尽くして教え込む。ところが残念ながらこれで伝わった例しがない。真意を言 葉で伝えることの出来ない虚しさは、多くの親達が痛感する処であろう。ではどうせ伝わらないのなら言っても仕方がないと匙を投げ、ただ黙って何もせずにいるしか方法はないのだろうか。実に難しい問題である。
 さて話を元に戻すと、この外道の質問に対するお釈迦さまの答えは″世尊良久″(せそんりょうきゅう)であった。つまりじっと心を澄まして黙っておられたのである。それを見た外道は「誠に有難うございました。よく分かりました。今迄私の心を覆っていた迷いの雲もすっかり晴れ、悟らせて頂きました。」こう言うと三拝九拝して帰って行った。いったいこれはどういう訳なのだろうか。
 お釈迦さまは何故黙っておられたのか。 それは答えることが出来なかった訳ではなく、すべてを超越した心境がそこにはっきりと現われていたのである。有言にも、無言にも落ちない言外の意が言葉以上の精神となって溢れていたのである。するとこの様子を脇で見ていた阿難尊者は「今、外道はえらく喜んで、お陰さまで悟りが開けましたと言って帰りましたが、いったい何処をどう見て悟ったのでございましょうか。」と尋ねた。阿難尊者といえばお釈迦さまの最も身近にお仕え して、あらゆるご説法は悉く暗記した、釈迦十大弟子のうちでも多聞第一と言われた人である。しかしその時はまだ悟りが開けていなかったのである。仏教の学問もしていない外道の方が悟って、お釈迦さまのご説法を一番聞いていた阿難尊者には真理は伝わっていなかったのである。つまり学問や知識はたしかに重要なものではあるが、それが又邪魔にも成る訳で、自分本来の面目を悟るためには一 辺悉くそれらを捨て、赤子のように無心に成り切らなければならないのである。
 このやり取りを後になって中国の天衣懐和尚が詩にしている。″吹毛匣裏冷光寒=iすいもうこうりれいこうさむし)吹毛とは吹毛剣と言って、吹いた毛を斬るほどの凄まじく切れ味の良い名剣のことである。そういう名剣は箱の中に納まっていても外に霊気を発して、外道も天魔も皆腕をこまねいて何も手出しが出来ないという意味である。当に世尊の良久は仏教の真理が身体中から発し、宇宙一 杯に広がっていったのである。

 さて話は変わって私の友人に大変無口な男がいた。その男の処に或る日部下で非常に真面目を者が相談にやって来た。結婚したいのだがどうしても相手の女性の親が反対して困っている。どうか親を説得して欲しいと言うのである。そこで早速先方へ出掛けて行き、会って一応こちらの気持ちや青年のことなど喋って頼んでみた。が、そんなことでは頑として承知してくれない。それから双方じっと 黙ったまま一時間経ち二時間経ち遂に三時間が経った頃、もうこれでは駄目だ。そう考え、「では失礼いたします。」と言って立ち上がった瞬間、足が痺れていたので、大の男がどすーんと無様にも部屋で引っ繰り返ってしまった。ところが何とそれが切っ掛けとなり、この話が纏まったというのである。一言も発せずに誠意が伝わった例と言えまいか。本で読んだり人から聞いたもので、どうして相手に真意を伝えることが出来ようか。自分 の全存在を掛け、ぎりぎりの処で生きている姿こそ万言に勝る説法なのである。

 

 

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