1995年7月 泥中の華
 

 今年の二月、十五人程で印度の仏蹟巡拝旅行に出掛けた。ニューデリーより入り、スラパスティーの祗園精舎、ルンビニーの誕生の地、クシナガラの涅槃堂、サルナートの初転法輪の地、ブッダガヤの成道の地、ラジギールの霊鷲(りょうじゅせん)と今回は六大聖地を巡った。
 聖地の殆どが北印度の大変辺鄙な処にあるので、大半はバスに頼る他なく、道路事情も悪い上、長時間に渡るため、旅行としてはかなり厳しいものになった。しかし二千五百年もの時を隔てながらも、釈尊が居られた同じ場所に立てるということは仏教徒として何にも代えがたい感激であった。
 無事各聖地へのお参りを済ませ空路カルカッタへ移動した。人口千二百万という大都市である。″カルカッタを見ずして印度を語る勿れ″と言われるほど、印度の良いところと悪いところが全て集約されてあるのだそうだ。カルカッタの空港に到着したのが午後六時半。バスに乗り継ぐと薄暗い道路を走り三十分程で市街に入った。まず驚いたことと言えば広い道路を埋め尽くさんばかりの車の数である。信号など有って無きが如しで、交差 点では我先にとあらゆる方角から車が突っ込んでくる。

また百メートル先も霞むほどの排気ガスと埃、猛烈な臭気、更にはバングラディシュからの難民の流入で、空き地といわず舗道といわず、ポロポロの小屋が林立している。しかし一方では近代的なビルも建っており、それとスラムが渾然一体となっている様は、何もかもが平均化した社会で生活している今日の日本人にとってはとうてい理解し難い光景である。
 ところで我々一行が泊まったホテルは誠に豪華な造りであった。ホテル内は大理石が敷き詰められ、美しい花が飾られたロビーは巨大なシャンデリアが輝き、まばゆいばかりである。そこを行き来する夫人は金糸を織り込んだサリーを纏い、それはそれは華やかな雰囲気であった。しかし振り返ってみると、そのドア一一 枚向こう側には見るも哀れな物乞いの人達がホテルを出入りする客に群がっているのである。当に天国と地獄がガラス戸 一枚を隔てて在るのだ。これは本当にすごい所だ!というのが私の第一印象である。
 その翌日は印度博物館や市内を見学した後、今回の最終目的地であるマザーテレサの施設を慰問した。旅の最後ということもあって、日本から持ち込んだ食料品や菓子、その外用意してきた品を全て一つにまとめ差し出した。残りのルピーも全て寄付することにした。マザーテレサ師はノーベル平和賞を受賞したことで世界的に有名な方である。彼女は現在凡そ三、四百人位もの親から見捨てられた 子供を預かっているということである。建物は五、六階のビルで、市内のごみごみした真っ只中にあり、元々はアパートか何か他の目的で建てられたものらしい。障害を持った子供は中央にある一列づつ並んだ小さなベッドに入っているが、その外の大部分の子供たちは元気良くはしゃぎまわっていた。
 我々が入って行くと途端に人なつっこい何人かの子供が寄って来て、一緒になって施設の中を見て回った。彼らの手は大人の人差し指が漸く握れるというほど小さかったが、それでもしっかりと我々の指を握っていた。中は粗末ではあるものの実によく掃除が行き届いていて、我 々が訪れたときも丁度中庭のコンクリート敷の広場を、水を流しながら盛んに洗っていた。
 そこで我々を案内をしてくれたのは二十五、六歳と思われる若いシスターであったが、身に付けているものは度々の洗濯の為であろうが、何箇所も擦り切れていて、こざっぱりとはしているものの実に質素枯淡であった。しかし彼女の瞳の何と澄んで美しいことか。体全体から伝わってくる雰囲気はその若さからはとても思えぬ程落ち着いている。周囲では子供達がぎゃーぎゃー飛び回っているとい うのに、どうしたらこんな風に沈着さを保てるのだろうか。このシスターと雲水の違いはどうだろう。年令はほぼ一緒、宗派は違えども宗教の道を志している点でも同じである。私は日本という恵まれた環境の中で修行している雲水と、目前にいるシスターとを自然に思い比べていた。
 印度社会の現状は経済的に言えば極めて貧しい。あの混乱ぶりと猥雑さはとてもたまらないなーと言うのが実感だ。しかしその真っ只中にあっても、泥中の華の如く宗教に依り、真摯に生きている若いシスターがいることを決して忘れてはいけないと思った。これに比べて目先の欲望に負けて自己を見失い、極めて低次元な処に埋没してしまっている我々宗門の若者を見るに付け、心の世界の後進国 はこちらの方だと大いに感じた旅となった。
 

 

ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.