1994年4月 石橋
 
 昨年九月、法類の和尚さんや寺の信者さん方十数名で中国へ旅行した。目的は我々の宗祖、臨済禅師のお寺の参拝と、達磨大師の坐禅窟を訪れるというものである。六年前にもほぼ同じ目的で中国を訪れたのだが、行ってまず感じたのは、中国社会の急激な変貌振りであった。経済開放政策に依る人心の変化は全く驚くばかりで、丁度戦後混乱期の、我国の状況を彷彿させるものがあった。生き馬の 目を抜くというが、金儲けの為には何んでもやるという具合で、其のエネルギッシュな事といったら無い。
 今回旅行のメインである臨済寺は、北京より南へ列車で約五時間、石家荘と言う小さな町の外れにある。車で約三十分の所で、周囲は一面の畑、数十戸の農家が固まって部落を造っている。其の外れにレンガづくりの塀で囲まれた中に建っている。
 同じ石家荘の町より別方向へ一時間程行った所に趙州和尚の柏林寺が有って、此処も是非参拝したいと思っていた。其の寺から八キロ程行くと有名な石橋(しゃっきょう) がある。趙州の石橋と言って、一千年以上も前から有る大変有名な橋で、わが国で言えば岩国の錦帯橋の様なものである。幅約十五、六メートル位、長さは四、五十メートルは有るだろうか、ともかく大きなアーチ型をした、素晴らしい石橋である。
 趙州和尚と此の橋には興味深い話が伝わっているので、其れをお話する。
 昔一人の修行僧が趙州和尚の寺にやってきた。「此処には有名な趙州の石橋が有ると開いてきたが、来てみればなあんだ、唯の詰まらぬ丸木橋が有るだけじゃないか」すると趙州は答えて、「お前さんは丸木橋だけが目に入って、石橋が見 えんのじゃ」
 此の遣り取りはこういう事である。僧はあの有名な石橋に引っ掛けて「趙州和尚といえば天下に聞こえた善知識、一体どれ程の人物かと来てみれば、なあんだ唯の痩せこけた老いぼれ爺いじゃないか」と言う訳である。面と向かっていきなりこんな無礼千万な事、大抵は頭に血が上って、此の野郎!と言う処だが、老練な趙州和尚は、我々の様な浅はかな対応はしない。
 「お前さんには俺の本当の値打ちが分からんのじゃ」と実にさらりと答えている。さて此の 本当の値打ち″とは何かが大いに問題に成る処である。
 私がまだ道場で修行していた頃、或る日ひょこりと一人の老人がやって来た。手に大きな軸を大事そうに抱えている。「是非老師にお目に掛かって、此の軸の鑑定をお願いしたい」と言うのである。見ると全紙に達磨さんの絵と讚のある白隠禅師の墨蹟である。聞けば其の家代々の家宝として伝えて来たもので、今回少々事情が有って、どうしても此の軸物をお金に換えたいのだそうである。就いて はどれ程の値打ちの有るものか、見て欲しいと言う訳である。
 状況も逼迫しているので、早速老師に引き合わせた。老師も少々お困りのようであった。折り好くその時、白隠禅師の研究では其の道の第一人者と言われる人がやって来たので早速見てもらうことにした。
 軸を広げてしばらく眺め、そのうち電燈に透かして見たりして、結論が出た。「此れは本物ですが、偽物です」と言うのである。どういう事ですかと訪ねると、本物の軸を上下二枚に剥がした、其の裏側の物だと言うのである。此れは偽物″と言う事に成るのだそうだ。
 それを聞いたくだんのお爺さん、がっくり肩を落として、傍から見ていてもいかにも気の毒な様子。「本物を二枚に剥がしたのなら、半分の価値は有るのではないか」と訪ねてみたが、矢張りこう言うのは贋作と同じで、全く市場価値は無いのだという事であった。
  その時本物か偽物かを見分ける眼を養う方法について興味深い話を聞いた。方法は二つある。一つは初めから本物以外は一切見ないと言うのと、偽物ばかり見て、決して本物は見ないと言うのがあるそうだ。本物以外知らなければ、偽物が来ればすぐ分かる。又偽物ばかり見て本物を知らなければ、これ又本物がすぐ分かるというのである。
 修行時代よく師匠が言っていた。下から上は見え無いものだ。師家に成ってみなければ師家の本当の気持ちは分からぬ。
 人は自分の目の高さでしか、物を見ることは出来ない。折角素晴らしい人に巡り合ったとしても、自分の眼が低くければ、あたら虚しくやり過ごしてしまい、自分の為にならない。常に自分を磨いて、高い眼を養う努力をしておかなければ、人生は実に薄っぺらなものに終わってしまうのである。お互いに心したいものである。
 

 

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