第五十五回  起単留錫
 制中三ケ月が間もなく終わりになる頃、起単留錫がある。その日はまず午前九時から講座があって、老師から起単留錫の心得について丁寧な説明がある。これは一制中の勤務評定のようなものなのだが、批評する方もされる方も決して私心を持ってはいけないこと、また特に批評される者は異念を差し挟まぬ事、よく真意をくみ取り、これからの修行に生かしてゆくこと等である。
本堂上間の間、正面に知客・左右に紀綱と直日が座り、其の真ん中に進み出て、起単か留錫を告げ、名前を書く。起単は道場を去ると言うことだから、通常その欄には書かず、留錫欄に書くことになっている。書き終わり低頭すると、「留錫とあらば一料簡願い起きます」と言って、一制中に気が付いたところを腹蔵なく言う。修行は集団生活をしながら、一方では己事究明で、ひたすら自分自身の内に向かって極めて行くことだから、ややもすると利己主義に陥りやすく、人のことなど知ったことかになりがちである。しかし皆が勝手なことをしたら収拾がつかなくなるばかりか、本人には悪げは無くとも結果として周囲の者に迷惑を掛け、他人の修行の妨げに成るのである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 まだ修行も三、四年ほどの初期の頃、臘八大接心の後の灯夜の日のこと、灯夜では助警の者が全体を仕切る習慣になっていた。飲み放題騒ぎ放題の夜でも、最後締め括りの跡片付けと火の用心はきちっと見回り、万一にも不始末のないようにして置かなければならない。ところが生来そういうどんちゃん騒ぎは苦手のうえ、当時は慢性的な胆石痛の発作に見舞われ、内実は灯夜どころでは無く、疲労困憊した身体を少しでも休めたいのが本音だった。宴もたけなわの頃、そっと抜け出し寮舎で横になって身体を休めた。そのうちどっと疲れが出て、気が付いたら翌朝になっていた。其の制未の起単留錫では役位さんからこっぴどくこの点を指摘され叱られた事があった。確かに役目上は怪しからんと言うことになるのかも知れないが、それどころではないこっちの事情もあるので、「勘弁してくれよ!」と言いたいところだった。その時一老子の方が「お前さんは馬鹿になる修行が足らん!」と言われた。それがずっと頭に残っていて数年後、ふとしたことから、な〜るほど!と得心したことがあった。さすが十何年も修行を積み上げてきた人は目の付け所が違うものだと改めて感ずる。自分の顔は自分で見ることが出来ないわけだが、そこをずばり指摘し、更に一層の修行の糧にして行くのである。お互い修行者同士の心から出てくる親切なので、言葉の端々に愛情が感じられるのである。しかしそういう言葉を掛けてくれた方々はもう皆亡くなってしまい、あの時のあの一言は本当に有り難かったと、お礼の一つも言いたいところだがそれも叶わぬ。だから恩返しに、今度は自分が後輩の若い者に向かって、耳の痛いことを言い続けなければならないのである。


 
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