第三十二回 朝課(ちょうか)
 僧堂の一日は早朝の勤行(ごんぎょう)から始まる。夏期は午前三時、冬期は午前三時半起床である。毎夜解定(かいちん)後は遅くまで夜坐を組み、只でさえ睡眠時間が短いので、いつも鉛のような重い体に鞭打って起きあがることとなる。それでも開静(かいじょう)が掛かり一斉に障子が開け放たれれば目がぱちっと開く。
特に冷たい風が容赦なく吹き込む冬ともなれば嫌でもそうなる。起きるが早いか、東司(とうす)、洗面を手早く済ませると法衣、袈裟を着け、直日(じきじつ)の先導で一列に並び本堂へ出頭する。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

予め殿司(でんす)役の者によって灯明、蝋燭、線香、茶湯など準備万端整えられている。
一般的には本堂正面に向かい左側が堂内員、右側が常住員の席で、半鐘が連打されると全員着座で打ち上げられる。相前後して老師が正面に進まれ焼香、静寂の闇を破る大馨(けい)一声でいよいよ勤行が始まることとなる。
 凡そ四十分ほどお経を読み続けるわけだが、僧堂のお経は猛烈な早さで読む。慣れない新到(しんとう)のうちは初め何を読んでいるのか解らないほどだ。兎も角、早ければ早いほどよい。
従ってそれに合わせて打つ木魚係も大変なことになる。腕だけ使って打っていたのでは忽ち腕が麻痺してしまう。そこで身体全体を木魚のバチにしたような気持ちで、全身是れお経と云う呈になって打つのである。かく云う私も実はまるでへたっぴーで、よく当時の高単さんからお叱りを受けたものだ。
 又読経の合間には維那(いのう)に依って回向(えこう)文が朗唱される。これが更に早口で、殆ど何を言っているのか解らない。老師はお経一巻につき一回づつ焼香し敬虔な礼拝を繰り返す。また制中には読経中警策(けいさく)が廻り、少しでも居眠りをしようものなら容赦なく肩を猛烈に叩かれる。瑞龍寺では老師の座布団脇に特製ハンマーが備え付けられていて、警策が廻らない制間でもカキ〜ンと打ちのめされることになっている。
僧堂で読まれるお経は「般若(はんにゃ)心経」「大非咒(しゅう)」「甘露門(かんろもん)」「尊勝陀羅尼(だらに)」「観音経」「金剛(こんごう)経」「発願文(ほつがんもん)」などがあり、勤行は古人先哲の思想に触れ誓いと祈りとなし、雑念を払い勤行三昧に入り、報恩の誠を尽くすことである。こうして自ずから功徳は生まれるのである。
 さらに通常の勤行に加え夏(げ)制三ヶ月間は楞厳咒行道(りょうごんぎょうどう)がある。これは室中南側の畳廊下を猛烈な早さで歩きながらお経も早口で読む。楞厳咒は長文の上ちょくちょく読むお経でもないので、ベテランの高単組は良いが新到にとっては大変である。経本からは目を離せず、前後の間隔を見計らいながらぐるぐる歩き回らなければならないので慣れるまでは必死の思いだ。下手をすれば袈裟は肩からずり落ち、畳んだ部分がぐちゃぐちゃになって腕から外れ、床を引きずりながら歩くと言うような無様を晒すことになる。
兎も角朝の勤行は眠気も忘れ身も心も引き締まるときなのである。

 
 
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