第十七回  作 務

  「一日作さざれば一日食らわず」これは百丈禅師が残された有名な言葉である。禅師が八十歳を過ぎてもなお毎日畑仕事に出掛けられるのを見た弟子たちがある日、その体を心配してこっそりと鍬を隠した。それからというもの禅師は自室にこもり一切食事を摂られなくなった。弟子が訝って食事を摂るよう促すと言われた言葉である。同じような言葉で「働かざるもの食う べからず」というのもあるが、禅師は他から強制されて食事をされなかったわけではなく、自律的な精神から″私、はいただきません″というところが大いに違う。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 僧堂に於いて作務は重要な修行の一つである。 毎日の拭き掃除から庭掃き、草引き、剪定、薪作り、畑や田圃での農作業など自給自足が原則の僧堂では、こうした日々の作務は欠かすことの出来ないものである。また一方で、「動中の工夫は静中の工夫に優ること百千万倍」と言われるごとく、公案の拈走工夫は何も禅堂で静かに坐っているときばかりとは限らない。作業を しながらでも頭のなかは与えられた公案のことでいっぱい。すると意外に頭の回転も良くなって、ふっと思わぬ良い工夫が沸いてきたりする。したがって作業をしながらの私語は絶対禁物で、うっかりお喋りなどしようものなら高単さんからこっぴどく叱られたものである。私が修行したての頃、寺はちょうど建物の修繕工事の真最中であった。そこで作務といえば裏山に入って ひとかかえもある檜や杉の大木を切り倒し、木の橇に乗せて鳶ロを使いながら一気に山を駆け下り、トラックに担ぎ上げて製材所に持って行くという、まるで専門の樵がするようなことまでやった。雲水の中には田舎育ちで山作業や農作業に精通している者もいたので、経験のない者はいろいろ作業のコツを教わった。おかげで何年か経つうちにさまざまなことを自然に覚えて、いざ自分が寺を持ったときには大いに役立っ たのである。
 今でも懐かしく思い出されるのは、僧堂から徒歩で三十分以上もかかる寿瀬という山奥へ毎日柴作りに出掛けた時のことである。ただでさえ山に囲まれた僧堂でさらに山奥に分け入るのだからひとっこ一人いない。し〜んと静まり返った山の急斜面にへばりつくようにして柴を作った。こんな辛い作業で何が楽しみかといえばそれは昼食であった。時分どきになると典座さんが飯器にいっぱい入った特大のおにぎりを自転車に乗せて運んでくる。「齊座!」という引き手さんの声で、各自好きな場所を確保すると赤ん坊の頭ほどもあるような大きなのを大抵三つぐらいは平らげた。とろろ昆布で包んだだけのおにぎりだったが重労働の上、山のきれいな空気を胸一杯吸い、ぺこぺこになった腹にはこたえられない味であった。食後午睡の幸せだったこと。厳しい作務ではあったが、あの頃の単純明快な日々が実は禅僧としての境界を形作っていたのだと今改めて思うのである。

 

 
 
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