第八回  閑静(かいじょう)

 道場の朝はめっぽう早い。夏期半年間は午前三時半、冬期でも午前四時、大接心中ともなれば三時である。しかも夜は十一時、十二時まで夜座をし、その上で朝はこの早さなのである。ともかく一年中起床の時は何時も真っ暗闇。外が明るくなってから起きるのはせいぜい月二回、寝忘れと称する公に朝寝坊出来る時ぐらいである。
 つまり雲水は皆常に睡眠不足状態で、眠いことこの上なく、日中の作務(さむ)の間のちょっとした休憩でも直ぐにこっくりすることになる。特に近頃の若者のように、夜中に起きて昼間は寝ているといった夜昼逆の生活をし、道場へ入門して来て途端にこの早起きを強制されれば、それは相当な苦痛に違いない。
 昔或る雲水は道場を去るとき同僚にこんな風に言ったという。「せめて朝五時ぐらいまで寝かせてくれたら、もう二、三年は頑張ってもいいんだがなー‥‥‥。」勇猛精進の心も無く、早やばや辞めて行くような者が何を言うかとも思うが、彼にとってはたしかに本音であったのだろう。
 さていよいよ起床時刻になると殿司(でんす)がチリチリチリと鈴鐘を振りながら庫裡から本堂へ向かって小走りに行く。それを合図に晨鐘 がゴーン、ゴーンと鈍く響きわたり、次に聖侍 しょうじ)の者がタイミング良く後門の障子戸を力一杯開ける。バターンバターンという凄まじい音、「開静!」と言う大声を聞き直日(じきじつ)は引(いんきん)一通、禅堂の者 は一斉に飛び起きるのである。
 それからは当に戦場のような有様で、蒲団を巻いて手早く棚に放り上げると、障子を開け、 単箱上にある法衣を小脇に抱えて外に飛び出す。 まず便所に駆け込み次に洗面。予め用意された塩を一掴みし、人差し指を使ってゴシゴシと口の中を洗う。杓一杯で口をすすぎ、もう一杯は 左手に受け顔を拭う。このたった二杯のわずか な水で済ませる。現代社会では水道の蛇口を捻れば幾らでも出てくる水を誰もが無制限に使い、それを当然の事のように考えているが、こういう道場の生活から大いに学ばなければならないのではないかと思う。
 さて大急ぎで法衣を付けると堂内に戻り袈裟を付け出頭(しゅっとう)の合図を待つ。起きてからこの間七、八分、裸電球がぽつんと付いているだけの薄暗いところで、素早くこれだけの事を済ませるのは慣れないとなかなか難しい。 新到の頃は寝保け眼の上、要領も悪くもたもたしていると、起き抜けに古参の者から無慈悲な罵声を浴びることになる。然し毎日繰り返され るこうしたきびきびとした動作の一つ一つが後のあらゆる場面で、成り切ってゆく修行者としての心構えを作ってゆく上に、欠くべからざるものなのである。こうした日々の訓練を通じて雲水らしい所作が自然に身に付いてくるのである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

 

 
 
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