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2025年09月29日

相変わらず・・・

居室の机に向かって座り、窓越しに向いの山をジ~ッと飽きずに眺めている。木々はソヨともせず、まるで固まってしまったかのようである。曇ぐもり。私はこう言う時が一番好きだ。嘗て仕えた師匠は常に側に人が居ないと居たたまれない風だった。これが何とも不思議で、変わった人だな~と思っていた。孤独くらい気分の良いことはないではないか。今大好きな孤独をギシギシ噛み締めながら、日々満足して過ごしている。間もなく満83才。トホッホッ。

投稿者 zuiryo : 09:25 | コメント (0)

2025年09月25日

暇をギシギシ噛み締めながら・・・

このところ矢鱈暇になってきた。ほぼボ~ッと過ごしている。まっ、制間つう事もあるのだが、そもそも暇なところなのである。この貴重な時間を有効活用している。と言うと聞こえはいいが、日々ボ~ッと、無為に過ごしているのが実体。トホッ!今年83才の老いぼれ爺。周りに助けられながら何とかやっている。

投稿者 zuiryo : 16:54 | コメント (0)

2025年09月24日

画面、一瞬にして消える

トホッホッ!やってられない!頭にきた!パソコンを堀っぽり投げたくなった。歯を食いしばって、そこをぐっと我慢した。我が身の老化をひしひし感ずる満83才。しかし、ものは考えようで、世間一般なら、もうとっくにお払い箱だが、僧堂という特殊な所だから、この老いぼれ爺でも、なんとか使って貰えるわけだ。有り難いことだと感謝している。いろいろ矛楯だらけだが、老化とはこう言うものなのだ。トホッ!まだまだ気力充実、80才過ぎてからが本番だ!そう思って、日々新たな気持ちで過ごしている。

投稿者 zuiryo : 17:40 | コメント (0)

矢鱈、遙か昔を想い出し・・

老齢と言う事もあるのだろうが、最近矢鱈遙か昔の小僧時代を思い出す。京都の下町ど真ん中、と言うような所で、門前は旧式な長屋がぎっしり詰まっていた。お寺の一角だけぐるり土塀で囲まれていた。周辺に貸し地があって、月末になると、地代を払いに、次々やって来た。通帳のようなもと一緒に持ってくるので、判子を押して、何月まで地代払い済みと言う印になる。これが結構厄介で、今から思えば、そうたいした金額でもないのだから、1年分一遍に払って貰えないかな~と思ったものである。境内一角に寮のような古びた二階建てがあって、そこに市内の大学生が数人下宿していた。檀家は極めて少なかったので、そこからの収入も貴重なものだった。殆どの下宿学生は夕飯だけ一緒に食べたので、当番制にして、一人が全員の食事を作っていた。時が過ぎて、何もかも懐かしい思い出ばかりになった。

投稿者 zuiryo : 16:47 | コメント (0)

2025年09月23日

ふと、小僧時代を思い出し・・・

何だか知らないが、フッと遙か昔の小僧時代のことを想い出した。今から思えば恥ずかしいいことばかりで、師匠も随分腹立たしいこともあっただろうが、ジッと辛抱して、いずれ自分の未熟さが分かってくる、そう思って大きな心で対して呉れていた。有り難さで一杯である。お陰で、この未熟者が、途中で棒を折らずに修行を続けることが出来たのだから。感謝の念で一杯だ。人は様々な縁、巡り会いに助けられながら、途中、棒を折らずにやって来られたのである。これも巡り会いの妙である。私が全く違う人の弟子になっていたら、今はないと思っている。師匠は既にあの世に往ってしまったが、この感謝の気持ちを是非伝えたかったな~と、今頃になって思う。 

投稿者 zuiryo : 16:02 | コメント (0)

終日ノ~ビリ

悠々自適な日々、トホッホッ!居室の窓越しに向いの山を眺めながら、ボ~ッと過ごしている。風に吹かれ、木立が微かに揺れている。無為、私の一番好きな時である。三方を山に囲まれ、一生懸命ホ~ンシンツクが鳴いている。穏やかな日差しが注して、ゆったりと時が過ぎてゆく。孤独大好き人間には相応しい一時である。無為をギシギシ噛み締めながら、時は過ぎて行く。

投稿者 zuiryo : 14:35 | コメント (0)

2025年09月21日

酷暑のみぎり・・

暑さにやられてこのところ、終日ボ~ッ!こりゃ~不味いぞ、と思いながら、伸びきったゴム紐のように、怠惰な日々。街の中心地なのだが、参道左右に6ヶ寺の塔頭、その一番奥に後ろを山に囲まれた良い場所に僧堂はある。窓越しにソヨともせず鬱蒼と茂る山を眺めながら静かな日々を過ごしている。訪れる人もなく、コトッ!と音もなし。私はこう言う時が大好きだ。机の前に愛犬ハチの遺影が立てかけてある。日々その写真を見ながら、今でもハチと一緒。嘗て私が仕えた師匠はお二人とも、常に周りに人が居ないと居たたまれないという、なんとも不思議な人だった。人間くらい煩わしいものは無いと思うのだが。今私はその孤独をギシギシ噛み締めながら、充実した日々を過ごしている。

投稿者 zuiryo : 13:21 | コメント (0)

2025年09月16日

暑いったらありゃーしない

言うまいと思えど今日の暑さかな、トホッ!うちは裏に山を背負い、周囲を緑に囲まれた良い環境なのだが、しかしこの暑さ!そよとも風はなし、鬱蒼とした周囲の山も、燃えるように陽に照らされている。時折吹く風に木々はユラユラ揺れている。83才の老骨には厳しすぎる暑さである。言うまいと思えで今日の暑さかな、トホッ!パソコンの側らで愛猫タマちゃんが気持ちよさそうに寝入っている。

投稿者 zuiryo : 16:30 | コメント (0)

2025年09月14日

特別何も無いのだが・・・

それなら止めときゃ~!と言うことになるわけだが、あまり長い間、穴を空けると、一寸それって、不味いんじゃ~ないのと、天の声?何かに背中を押されるような気がして、何時ものくだらないことを書くのだから始末が悪い。、間もなく満83才の老いぼれ爺。日々ボ~ッと過ごすときが多くなった。まっ、年相応って事なのだが、自分ではまだ若いと思っているので、老いぼれ爺を素直に認めたくないのである。居室の窓越しに向いの山の鬱蒼と茂る緑を飽きずに眺めている。こう言う時が一番好きだ。「無為」これが私のトレ~ドマ~ク。無為くらい有為はないと思っているのだから始末が悪い。トホッ!

投稿者 zuiryo : 12:33 | コメント (0)

2025年09月07日

ブログも久し振りで・・・

どう言う段取だったか分からなくなった。トホッ!これも老化のひとつだと思う。まっ、どうせどうでも良いようなことの羅列だから・・・。とは言え、記憶を奮い立たせて、挑戦。暑い夏も過ぎてやや凌ぎやすくなってきた。居室の窓越しに見えるの山の緑もやや落ち着いて、初秋の気配。今日はソヨとも揺らがず、時が止まったよう。お寺は比較的街中に有るのだが、左右に塔頭が六ヶ寺、その一番奥に、山を背負って建っているので、深山幽谷(これは少々オ~バ~だが)の気配漂う雰囲気なのである。檀家もなく信者もなく、何も無い、実に静かな毎日である。それで日々何の不都合もなく、寺が廻って行くのだから、こんな有り難いことはない。鎌倉から此処へやって来て、もう43年になる。近頃は老齢化で、しばしば回りに迷惑掛けながらなのだが、大過なく日々過ごしている。有り難いことだ。出家して爾来65年が過ぎた。その間、色々あったが、何とか大過なく今に到った。仏様に護られてやって来られたのだと感謝の気持ちで一杯である。

投稿者 zuiryo : 14:16 | コメント (0)