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2018年03月16日

千日聞き流せ

昔、法隆寺で高僧佐伯定胤師が唯識という大変難しい講義をされた。仏教思想の中でも最高の思想と言われる唯識とか倶舎理論を教えておられた。この講義には志ある若い僧が集まった。中にどこかの地方からやって来た若い学僧がいた。雨の日も風の日も1回も休まず、全身を耳にして佐伯さんの講義を聞いていた。予習も復習もしてて、一所懸命学ぼうとした。しかし佐伯さんの説く仏教思想の核心の所が十分に理解できない。ある時佐伯さんのお前へ出てきて、「実は今日はお別れに来ました。私は毎日自分なりに先生の講義をうかがいましたが、私には才能がないらしく、お話の内容が理解できません。こういう学問には向かない人間だと思いますので、田舎へ帰って畑でも耕しながら、寺を継いで生きていきます。長い間有り難うございました。」佐伯さんはじっと聞いた後で、ポツンと一言、「千日聞き流せ」と言われた。それはこういうことである。仏教とは知識ではない。大事なことは毛穴からしみ込んで伝わる。だからわからなくとも、じっと私の話を聞くがよい。佐伯さんに励まされた若い学僧は、気を取り直して講義を聞き続けた。仏教などの一つの思想や学問に大事なことは、理論だけではない。人間の魂のありよう、あるいは情熱、人間の至心(まごころ)、そういうものが伝わることが大事なのである。意味が分かろうが解かるまいが、ただその肉声だけを聞け!顔の表情、声、そういうものを感じていくことが、人間にとって大事なものなのである。

投稿者 zuiryo : 2018年03月16日 04:49

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