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2017年07月19日

お変わりありませんか

久しぶりに会った友人に「お変わりありませんね」と言うと、大抵は、「ええ、おかげさまで・・・」と返す。ところがこれは生物学の分子レベルでは、半年、あるいは一年も会わなければ、我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのだそうだ。かってあなたの一部だった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。肉体というものについて、私達は自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし分子レベルではその実感は全く担保されていない。私達生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかもそれは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出て行く分子との収支が合わなくなる。だから我々は食べ続けなければならない。生物とは生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。この概念をさらに言えば、秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。これを動的平衡という。私達が住むこの環境もまた動的平衡のうちにある。この世界は生物と生物の相互作用が織りなすより大きな動的平衡によってなり立っているのである。動的平衡は生命観であるとともに、世界観でもある。動的平衡によって生命を再解釈することは、世界を再定義することでもある。近代思考は機械論的に生命を捉えすぎ、その必然的帰結として、昨今起こった様々な災害や事故を思い起こせば明かである。機械論的因果律的世界観に対するアンチテーゼとして、この動的平衡の柔らかさ、揺らぎ、可変性、脆弱さ、強靱さ、色、流れ、渦、美しさをことさら愛する人たちと、世界の有りようを動的平衡の視点から見直してみなければならない。以上は福岡伸一さんの文章からの引用。これは禅の生命観と相通じると思うのだが、如何であろうか。

投稿者 zuiryo : 2017年07月19日 10:46

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