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2016年01月07日

人は死ねばゴミになる

本は友人がこれ面白いですよ,読まれますか?と言って貸して下さるものか、アマゾンで、書評などを読み、これなら良いかなと思うと買う。当たり外れはあるが、ともかく最初数十頁までは読み、こりゃ駄目だと思うと止めることにしている。今度表題の本を買った。ある高級官僚が突然末期癌を宣告され、その闘病記である。この本を買おうと思ったのは題名にある。トップの大学を出て官僚のトップになった人が、ある日突然余命わずかと告げられたら、死ぬまでどう思ったのか大変興味をそそられたからである。読後の感想を端的に言えば、全くくだらない本だった。単なる闘病記で、こういう内容のものなら、なぜこういう題名を付けたのかまったく理解できない。人が必死に生きた証を残しておきたいと思うのは,素直に理解できるし、この記録自体を批判する気はない。私の兄もガンで、宣告を受けてから死ぬまでを,克明に大学ノートに記録していた。死後姉からその几帳面な闘病記録を見せてもらい、改めて兄を偲んだ。この高級官僚の場合、問題は何故こんなもったいぶった題名を付けたのか,又それを出版したのかである。公にして広く多くの人に読んで貰うような代物では無いのだ。この題名とは似ても似つかない内容だからである。失礼ながら死の間際まで肩書きを担いでいるという哀れさの方が、私には惨めに写った。人は死ねばゴミになると悟ったら、何故その題名に相応しい文章が書けなかったのだろうか。私のこの文をご親族の方が読んだら,なにをぬかしゃ~がる、このクソ坊主が!と思われるかも知れないが、五十余年間、必死に禅の修行を続け、なお生の執着から抜け出ることの出来ないふがいない自分を見ながら、他山の石としたのである。

投稿者 zuiryo : 2016年01月07日 09:36

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