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2012年12月31日

大晦日

一般家庭の大晦日はどんな風なのか知らないが、僧堂では毎年決まり切ったことをする。まず朝の起床は大四九ゆえ、何時もより2時間も遅く起きる。私はまず部屋の掃除をし、雑巾掛けをしてから肌着1枚になってストレッチ・ラジオ体操・青竹踏み・ぶら下がり健康器てなぐあいで、固まっている身体を一通りほぐしてから朝食となる。ここまでは365日変わらない。勿論通常の場合はまず朝の勤行から始まり、坐禅・喚鐘と続き掃除雑巾掛けとなるわけである。何時もこのサイクルで廻っているので、幾つになってもさほど苦にならぬ。ところが近年長い廊下を一気に端から端まで雑巾で掛け抜けるのが出来なくなった。1本目で息が上がってハアハアゼーゼー、頭がクラクラして伸びてしまう。そこで棒雑巾でから拭きをして済ませている。さて今日は大晦日、まず風呂場を磨き上げ、台所をピカピカにして、居室の障子の桟を一個一個雑巾で拭き、踏み台に乗って普段は行き届かない箇所を徹底的に綺麗にした。何だか部屋中磨き上げたら空気まで澄んできたような気がする。そうこうしているうちに午後3時半、隔宿諷経、これが1時間。まず本堂での勤行、その後外へ出て開山さんを初め歴代祖師の墓参り、最後は禅堂の諷経で終わる。今日は寒気一段と厳しく頭蓋骨を突き抜けて寒風がしみ通ってきた。部屋に戻ると日中の日差しで暖められた暖かな空気にほっとする。そそくさと薬石を済ませ午後6時から総茶礼、3日間お正月中の諸注意などして部屋に戻る。以上で私の大晦日の行事は終わった。雲水達は薬石後明朝の支度をし、12時からの除夜の鐘に備えて建長汁を作り、焚き火の用意をする。毎年140人くらいの市民が鐘を撞きに来るから、その世話をしなければならないのだ。私が雲水の頃は山奥の僧堂だったから鐘を撞きに来る人など一人も居なかった。雲水も翌日午前3時からの朝の勤行があるので皆とっくにやすんでしまう。殿司寮は独りぽっち大鐘の前に座を組み、大豆を108個煎って貰い、特別配給の熱燗を1本前に置いて、ひと撞きする度に一個豆を食いながら打ち続けた。まっ、これはこれで良いものだった。新年を迎えると私も71歳である。10月誕生日を過ぎたら市役所から新たに又老人保険証が送られてきた。以来医者に罹るときは何時も今までのと合わせて2枚提出するようになった。否でも応でもお前は老人なのだ!と突きつけられていうるような気がしてきた。

投稿者 zuiryo : 2012年12月31日 15:09

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