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2012年06月21日

自粛ムード

昨年の東日本大震災直後は、日本国中自粛ムードであった。岐阜でも7月と8月2回、地元新聞社主催の長良川花火大会が毎年催され、見物客が周辺地域からどっと押し寄せ大変な賑わいとなる。これもすぐさま中止を決めた。ところが暫くして世の中の風向きが変わり、そう一辺に日本国中自粛すると唯でさえ暗い世相が益々暗くなるばかりか、景気も悪くなると言うわけで、普通にしたら良いではないかという風になった。で、岐阜の花火大会、一端中止を決めて翻すわけにも行かず、長良川河畔に何千人も集めて追悼の大線香花火大会をやることになった。これにはいささか笑えてきたが、その後どう話し合われたのか今度は県主催の追悼花火大会が催された。聞くところに寄れば通常の規模の何十分の一程度の誠に寂しいものだったそうだ。月日が経って、今では東北方面へは大いに観光に出かけて沢山お金を使って下さいというキャンペーンがしきりだ。ちょっとの間に変われば変わるものである。さて先日新聞のコラムにこんな事が載っていた。『私は昨年3月18日、都内の大田区民ホールで成田さん(ブリュッセルで行われたエリザベート王妃国際音楽コンクールのバイオリン部門で2位に入った)のリサイタルを聞いた。3・11からわずか1週間、被災地の死者の数はどこまで膨らむか見えず、福島第一原発事故も深刻さを増していた。自粛ムードも広がり、音楽会も次々に中止になっているときだった。聴衆は100人前後だったろうか。小ホールの会場は7,8分の入りで、プログラムと一緒に案内Iが配られた。被災地の死者を悼み、冒頭「G線上のアリア」を演奏するが、終わっても拍手をしないで欲しい、と言う内容だった。演奏会は始まった。やや照明を落としたスポットライトの中で、拍手もなく登場した成田さんのバイオリンが奏でるバッハの「G線上のアリア」は染みいるように入ってきた。抑えた情緒性と確かな技巧、鋭敏な感性、音の一粒一粒がキラキラと発色しながら、聞く者の心の奥へ落ちて行く。死者を悼むという脈絡の中で、曲は新たな生命を吹き込まれていた。日本では悼むというと黙祷だが、欧米では音楽を通じて悼みを共有することが多い。ミサ曲や想い出の曲であったりと、それを聞きながら故人をしのび、心を静める。例えば米同時多発事故の追悼では作曲家サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が広くその役目を果たした。日本でも3・11につながる音楽や曲をもっている人は少なくないだろう。私は心を静めてくれた成田さんの演奏に行きつく』。

投稿者 zuiryo : 2012年06月21日 15:53

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