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2012年02月26日

中国祖跡巡拝旅行

5年前より毎年2月に語録に登場する祖師方の足跡を訪ねる旅を続けている。最初から一応5年で区切りをつけようと計画したので、今年がその最終年であった。上海から入ってまず、天台山国清寺・瑞厳寺・阿育王寺・天童山・霊隠寺・浄慈寺・径山万寿寺・道場山万寿寺、計8ケ寺を6日間で巡った。一行12名、既にこのコンビでの旅行は5回目なので和気藹々チームワークもすこぶる良く日程も順調に進んだ。出立前から旅行社より現地はマイナス5度前後で、防寒対策は怠りなくと特別電話があったので、もうこれ以上着ることが出来ないという限界まで着込んで出かけた。ところが、毎日しとしと雨が降って、気温は日本より温かく、ちょっと歩いても汗が出て、1枚脱ぎ2枚脱ぎ、トランクが脱いだ肌着で一杯になった。さて中国へ行って一番驚かされるのは、猛烈なエネルギーである。街中何処へ行っても溢れんばかりの人人人の山、到るところ工事中、車の洪水、怒鳴りあっているように聞こえるお喋り、中国人のエネルギーが爆発しているようだった。とてもじゃないが沈滞気味の日本人なんかついて行けない感じである。もう一つ気がついたことは、仏教に対する関心の強さである。寺院の建立は何処でも盛んで、政府の援助を受けているそうだ。又民衆の信心の篤さは目を見張るばかりで、特に若者が熱心に拝んでいる姿には驚かされた。日本では奈良や京都のお寺詣りというと、庭が良いとか花が美しいとか伽藍が立派とか、仏像が美しいとか、仏教周辺の事柄ばかりに興味が行って、肝心の祈る方はあまり真剣ではない。いわばお寺の静かな雰囲気を楽しむという風である。その点中国の若者は違う。お線香を一握り束にして、額の上に捧げ、四方に向い順に何度も頭を下げて拝んでいる。それだけ願い事も多く、頑張らないとこのご時世について行けないという焦燥感があるのかも知れない。中国じゅう全員が上に向かって走っているという感じで、じっとしていたら取り残されてしまうのだろう。大中国の人心を纏めて行くのには法律だけでは限界があり、そこに宗教の力を借りて一つにして行こうという国家戦略があるように思えた。嘗て中国共産党は宗教はアヘンだと言った。紅衛兵が暴れ回った頃は仏像を徹底的に破壊し寺を壊し僧を強制的に還俗させてきた。しかし時が巡り、自分たちで破壊した寺の復興のためにいま莫大なお金をつぎ込んで再建している。歴史とは何と愚かなことの繰り返しなのかと改めて思ってしまう。人は宗教なくして生きることは出来ないのだ。旅の最後に、杭州での夜、市内の劇場で、何千年の歴史を映像と音楽、歌と踊りで1時間ほどミュージカル風にした歴史絵巻を観劇した。戦争・破壊・建設・労働等々が演じられ、最後に千手観音菩薩が登場して、佛の功徳について説いた。ここに象徴されるように、これから益々仏教の重要性が見直され、中国の精神的支柱になって行くだろうと予感した。

投稿者 zuiryo : 2012年02月26日 19:29

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