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2010年10月22日

掃除

禅寺では一に掃除二に掃除三.四がなくて五に掃除と言われるくらい掃除についてはやかましく言う。一般には坐禅やお経が一・二と思われるかも知れないが、そうではない。勿論坐禅やお経はどうでも良いといわけではないが、ことに掃除は重要な修行なのである。室内でも庭でも綺麗に掃除をすると、心まで綺麗になる。今日も朝から雲水達が庭掃除をしている。明後日の日曜日、表千家の家元が来て献茶式を披露する。これは表千家同門会岐阜支部の行事で、本堂に特設舞台を作って、沢山の社中に見せるのである。近年表千家の行事をうちの本堂で度々やっており、家元もその都度お出で下さっているので特別気を使うこともないが、掃除が大変だ。地面が磨り減るのではないかと思うくらい、繰り返し掃いている。木の葉は間断なく落ち続けるので、掃いても掃いてもそばから汚れて行くわけだが、一見無駄なように見えるこの繰り返しが、実は非常に重要なのである。この繰り返しの中で落ちる葉は、単なるゴミではなく、そこはかとなく風情となる。同じ落ち葉でも、ただのゴミに見えるか風情に見えるかは、それまでに投じられた労力の大きさによる。前に掃いた分は元の木阿弥に思われるが、そうではない。ちゃんとどこかに形骸が残るのである。今掃除の話しをしたが、これは単に掃除だけに止まらない。人生全てこれである。何となく良い雰囲気を持った人だな~と思われる時は、必ずその人にこういう努力の積み重ねが潜んでいる。師匠は良くぺちゃぺちゃ言うのは足らんから、と言われていたが、無言は金なのである。

投稿者 zuiryo : 2010年10月22日 14:13

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