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2009年10月30日

生死一如

女優の大原麗子さんの孤独死はショックだった。特別フアンだったわけではないが、テレビドラマでも常に主役で活躍していたし、あのウイスキーのコマーシャルも印象的で、どこか華やかで甘ったるい感じが、独特の個性で光っていた。私的生活がどんな暮らし振りだったか、我々の知る由も無いわけだが、あれだけ活躍した人が「孤独死」とは驚きであった。さてその後、今度は女優の南田洋子さんが76歳の人生を閉じた。近年認知症になったと言うが、華やかだった方が、老い細った姿を世にさらすと言うことが、どれ程苦痛だったかを察し、胸が痛んだ。その闘病生活の後ついに病魔に冒され亡くなったのである。テレビでは、「太陽の季節」の映像が繰り返し流され、瞬時に白髪の老いた南田さんの闘病生活に切り替えられ、二つの映像の落差の大きさに驚くと共に、生と死が一つに繋がって、生死一如が実感された。人間は自分がやがて死ぬと言うことを知っている。他の動物と違い、人間の未来を予測する能力は、夢や希望とに止まらず、その先に死をも用意してみせる。それでなお人は生あっての死、死あっての生を思い、年齢と共に死生観を重ねるわけである。自らの死は意識の終わりだから、死の実際は他者の死をもって臨むことになる。近年、私の身の回りで、友人を相次いで失った。どうしてこんなに辛いのかと思うほど、日を経てなおこみあげてくるものがある。眉村卓氏は、「人が亡くなると言うことは、その人の中にある自分が消えること」だと言っている。友人は良くも悪くも、自分がどういう人間かを知る証人だ。だから友人はかけがえのない存在なのである。

投稿者 zuiryo : 2009年10月30日 14:41

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