« 報恩接心 | メイン | くも »

2009年10月04日

PPC

この暗号のような標題の意味がお解りだろうか。つい最近ある先生の講義を聴いて初めて知った。「ぴんぴんころり」だそうだ。私はまだ目前に死を意識するほど老齢ではない積もりだが、知人友人が相次いで癌で亡くなるのを目の当たりにすると、ひたひたと死が忍び寄ってくる気配を感ずる。そこで誰でも思うのは、死の間際まで元気で、コロリッと死にたいと言うことである。知人で14年間もの長きに渡り半身不随で、94歳の長寿を保った方がいたが、これなどは、果たしてこれを長寿と言えるのかとさえ思ってしまう。周囲のお世話する者も大変だが、ご本人が一番辛かろうと思う。しかしお迎えが来るまでは人間生き抜く以外にはないのである。そこでぴんぴんころりと行きたいと願うのである。こういう事を言うと不謹慎と思われるかも知れないが、矢張り循環器系が良さそうだ。師匠の逸外老師も寸前まで元気に客と会い、賑やかに話しをして送り出して間もなく、あっという間に逝ってしまった。聞くところに寄れば心臓が急に止まったということである。側に付いていた隠侍さんも、余りの急に唖然として言葉を失ったそうだ。これなどはPPCの典型のようなものである。私は最近どうも不整脈に度々襲われ、医者は何も心配要りませんと太鼓判を押しているのだが、どうも気持ちが悪い。そこで、最近出来たハートセンターへ行くよう、周りからしきりに勧められているのだが、少し迷っている。心臓の調子が悪いというのも、PPCから言えば、必ずしも悪いばかりでは無さそうだ。尤も若年で心臓に欠陥を抱え移植手術以外には助かる見込みがないというような深刻な方々には、冗談も休み休み言えと叱られてしまう。だから誰でも死ぬ間際までは元気で居たいわけで、逝くときはあっという間に、と言うわけである。こんな都合の良いことは、なかなか無いのである。昨日も肝臓癌で約10年の闘病生活の後、亡くなった知人が居る。この人にとって、人生締めくくりの10年間は、心境いかばかりかと偲ばれる。日々の生活を支えて行くことも大変だが、特に老いてから、若い頃には何ともなかったのに、あっちこっちが傷んでくると、否でも応でも死を意識せざるを得ない。こういう日々の自分と直に向き合うことが、生きると言うことなのだろうか。

投稿者 zuiryo : 2009年10月04日 18:13

コメント