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2009年04月10日

ラジオを聴く

近年テレビが主流になって、日常ラジオを聴く機会はほとんど無くなった。車で移動の時テレビを見ながらというのは出来ないので、仕方なくラジオを聴く程度である。眼耳鼻舌身が人間の五感だが、テレビ中心になって以来視覚に頼りすぎる傾向がある。もっと五感は均等にバランスよく働かせるべきで、視覚だけが突出して高く、八割以上を占めるというのは考えものである。私は時々目を閉じてじっと坐禅を組みながら、外界の音に耳を澄ます。私の部屋はほぼ周囲を山に囲まれているので、花から花へと渡る小鳥たちのさえずり、その中にホーホケキョと一段と爽やかな鶯の声も混ざって、嗚呼春だな~と実感され、のどかな幸せな気分になる。また大の巨人フアンの私は、球春を待ちこがれ、勝敗に一喜一憂するのもまたラジヲの実況中継である。アナウンサーの絶叫は、脳のスクリーンと聴覚が連動して、想像力は逞しく育ってゆく。子供の頃NHKラジオの「おら~三太だ」では、画面のないドラマにどれ程想像力をかき立てられ、胸をわくわくしたことか知れない。後年、私が鎌倉の寺の住職していた頃、ひょんな機会に、その三太のモデルになったというお爺さんに会ったことがある。神奈川県の津久井という、どうし川沿いの山奥の集落だったが、何十年もの時空を越えて、夢踊らせた子供の頃の記憶が怒濤の如く蘇り、涙が出るほど嬉しかったことがある。人間の脳が他の動物と決定的に違うのは、言葉の外に、「未来を見る」能力があることだそうだ。未来を見るとは想像することであり、相手の気持ちを推し量ることでもある。そう考えると、想像力は相手を思いやる優しさ、人間性とも深くかかわるわけで、「聴く」ことはなかなか深い意味のあることである。

投稿者 zuiryo : 2009年04月10日 10:18

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