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2009年01月23日

苦修

1月15日から1週間、制末の大接心も無事円成した。翌日把針灸治の心地よさ、これは僧堂で修行したものでなければ絶対に分からない。別にご馳走が出るわけでもなければ何もない。日中作務がないと言うくらいだが、これだけで実に爽やかで心は晴れ晴れする。何故なのか?苦しむからである。人間の欲望は際限がない。もうこれで充分と言うことはなく、歯止めが効かないのである。だからどこかで、ぎりぎりまで苦しむと、普通のことが有り難く思えるのだ。昨年来、世の中は百年に一度という大不況に見舞われているそうだが、結構なことである。平和ぼけ豊かさぼけに、天が鉄槌を下したのである。豊かさの陰でどれほど大切なものが失われたことか。親に孝行などと言うのも失われたものの典型で、昔は親を少しでも楽にさせたいと子供は懸命に働いたのだ。それでも尚、「親孝行したいときには親はなし、墓に布団も着せられずれず・・・」と言った。しかし近頃は、「親孝行したくないのに親は居る」になった。自分のことだけで、後は知ったことか・・・・、である。罰が当たるに決まっている。私は豊かさを否定しているわけではない。貧乏より豊かな方が良いに決まっている。しかし只漫然とその中に浸かっていては、本来の人間性を失うと言いたいのである。こういう時代だからこそ一層苦修の価値があるのだ。

投稿者 zuiryo : 2009年01月23日 15:41

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