風雅のなかの日常
 
 

 スペインのカタルーニャ地方のタラゴナでは二年に一度、各地区対抗の「人間の塔」大会が催される。闘牛場のグラウンドを使って行われ、スタンドでは大観衆が固唾を呑んで見つめるなか、各地区から選抜された揃いのユニフォーム姿の若者から、てっぺんに登る小さな女の子にいたるまで、文字通り人間が渦のごとく固まって九段も組み上げ、人間の塔を作り競うというものである。出来るだけ高く積み上げた方が勝ち、それが何と九段重ねなのだから、驚かされる。この競技で最も大切なのは団結力である。いわば町内対抗試合で、その結束力たるや半端じゃない。その様子を見ていてふと思ったのだが、日本にも嘗ては向こう三軒両隣、町内意識があったが、それも今では殆どなくなってしまった。隣は何をする人ぞである。スペインには二十一世紀になってもなお、この風習が厳然と残っているのに驚かされた。ところで、日本の江戸時代はどうだったのか興味を持ち、調べてみるとなかなか面白いので、ここにご紹介する。

「源空寺門前という一町内には、床屋が一軒、湯屋が一軒、そば屋が一軒というように、ちゃんと数が制限され、その町内の人がそのお華客(とくい)で、何もかも一町内で事が運んだ。次の町内の者が、その床屋に飛び込むと、変な顔をして断ったものだ。床屋は町内の寄り合い所であり遊び場だった。床屋だけではない、雷も町内の専属で、岡本綺堂はその捕物帖に、「浅草三妙町の雷が尾張屋という米屋の蔵に落ちた」と書いている。暮らしに必要なものは著しく簡素かつ少数で、価格も低廉で、まっとうに働けば生活に困ることもなく、思い煩うこともない毎日、町内が完結した小宇宙であった。祭りの相談、婚礼の世話、夫婦別れの仲裁、町内のあらゆる慶弔、もめごと、楽しみが髪結床で話し合われた。この世の別れという人生最大の悲嘆も、春には花が咲き、秋には落ち葉が舞うような自然なこととして、淡々と受け入れていた。」 彫刻家の高村光雲は、文久二年、十二歳の春に彫刻師に弟子入りした。そのとき父親は「一度弟子入りしたら二度と帰ることはできぬ。もし帰れば足の骨をぶち折るからそう思うておれ」と訓戒した。数年後江戸で打ち壊しがが続いて物情騒然となった折、光雲は親のことが心配で家に帰った。父親の怒ること、まさに足の骨をぶち折らんばかりで、光雲は平謝りに謝って許されたという。生きるというのは遊びごとではない。十二歳というのは奉公に出る歳で、年季奉公が十年、礼奉公が一年、それを勤め上げてやっと一人前であった。それも勤め上げない者は碌でなしで、取るに足らぬヤクザ者として町内でも排斥されたのである。さて十五歳になった光雲はある日、ひそかに鼠を彫った。店先の棚に置いて眺めているうち、用を言いつかって鼠のことは忘れた。用を済ませて店に帰ると、主人が今日は蕎麦の大盤振る舞いなので、好きなだけ食べろと言う。好物なので啜り込んでいると、まわりの者が皆笑う。実はこの蕎麦、光雲少年が彫った鼠が化けたのである。留守中鼠の出来映えに感心した客が所望したのである。その金で家中に蕎麦を振る舞ったのだ。師匠の家は上下の区別なく至極打ち解けた家風だった。当時それが一般的だったかは保証の限りではないが、しかし短命で単純で、打ち上げ花火のようにのどかな当時の庶民の暮らしは、その実、豊かな喜びと楽しみで彩られていたようである。
  老境に入った光雲が浅草寺を中心に東西南北を語ることは、まさにそこで生き、呼吸する我が町であった。共通の生命のリズムが少年と町並みをつなぎ、そこに生まれる物語を生きたのである。明日を思い煩うゆとりもなく、その日一日を無事に過ごして、ただ一合の寝酒があれば満足とするような生活、万事町内で用が足り、「近いうちに公方様と天朝様との戦争があるんだってなあ」と、湯屋で手ぬぐいを頭にのせて話しあうようなのんきな暮らし、そしてそのときが来ると、観念したようにさっぱりと死を受け入れた生涯、そのようなシンプルな庶民の世界にも、窺い知れぬ喜びも充実もあったのである。

 また洒落っ気と風流は一介の庶民にもあった。あるとき郊外に遊んで、農家の傍らに梅が見事に咲いているのを見て、大金を与えて買い取る。しかし花の下で酒を酌むばかりで、梅の木を持って行こうとしない。農夫がいつ移植するのかと問うと、わが家の庭は狭く植える余地がない。ずっとここに置いておく。それなら実がなりましたら届けましょうというと、「我は花をこそ賞すれ、実に望みなし、汝これをとれ」農夫が驚いて、ただ花を見るためなら何時でもお出でくださいお金はお返ししますというと、「ひとの花は見て面白からず、わが花にしてこそ興あれ」と答えたという。嫌みな風流気取りとも受け取れようが、当時の人々に多かれ少なかれ、こういう洒落た風流の気分が共有されていたことに深みを感じる。今日では全く失われた気分だからである。
  現代は江戸時代から比べたら科学技術は目を見張るばかり進歩し、日々快適な生活を享受している。しかし一個の人間の生涯の豊かさを考えると、果たして、本当に充実した人生だと言えるのだろうかと思う。

 

 

 

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