二十一世紀の挑戦
 
 二十世紀とは、何より科学技術の進歩と言える。二十世紀に起きたエポック・メーキングな出来事を幾つか思い出すだけでも山のようにある。例えばパソコンの普及である。今や小学校から必須授業になっている。我々のような老人でも、調べ物はわざわざ図書館へ行かなくとも、ほぼパソコンで済んでしまう。かつて海外へ電話することは非常にお金の要ることだったが、今やアイパッドで相手の顔を見ながら、しかもタダでいくらでも通話が出来る。先日も知人の携帯に電話したら、「すみません今、台湾に居りますので詳しい話はいづれ帰国後に…」と言われ、ああそうか国内じゃないんだと解った。こんなやり取りは、我々庶民でも日常茶飯事となった。このままいったら、二十一世紀はどういう時代になるのだろうか。そこで思うのは、どのような未来にしても、未来は突然やって来るわけではなく、現在の中に未来の槍の穂先が突き刺さっている部分があるということである。

 さて世紀ごとの「人・年」を考えてみる。世界の総人口は大体二百万年前、猿人時代が百万人、当時の平均寿命は二十歳以下と言われている。狩猟採集時代は狩猟地域の広さで決まるから余り増えない。その後農業革命が起こり、約二千五百万人となり、灌漑農法などの技術革新によって世界人口は紀元一世紀には一億三千万人を超えたと言われる。その後も益々増えて、特に産業革命以降はさらに急速に増え、十八世紀初めは六億人、十九世紀初め九億人、二十世紀初めには十六億人に達した。そして今や七十億人を超えた。現在の平均寿命は先進国で七十歳を超えている。農業革命以前が一世紀当たり二千五百万人であったから、当時の三百世紀分と言うことになる。
  ところで、エネルギー奴隷という考えがある。エネルギー消費を、それが人間何人分のパワーに当たるかを換算するのである。単純な比較は出来ないが、二十世紀初めのイギリスで一人当たり二十人のエネルギー奴隷を使っており、一九六〇年にはそれが八十一人になっていたという推定がある。イギリスのエネルギー消費は一九六〇年代と比較して一・三倍になっているから、エネルギー奴隷は百五人に増えているという勘定になる。エネルギー消費は二十世紀は突出している。ものが大量生産され、大量消費されれば、それを媒介する経済システムが発展し、流通業、運送業、商業が発達する。又それを支える金融業、通信業も発達する。
  現代社会を支えるインフラ、例えばエジソンの白熱電球は一八七九年に発明され、発電所ができ送電線ができ、いつでもどこでも電気が利用されるようになった。日本では明治十一年、最初の電灯がともり、それまでのローソクの明かりの下での芸妓たちは、安衣装がばれ、シワが見えてしまうと、大騒ぎになったという笑えない話がある。。やがてニューヨーク、ロンドン、ベルリンなどの大都市では市電や地下鉄が走りはじめた。
  次ぎに自動車はどうかというと、十九世紀末に生まれ、本格的実用化と普及はフォード社ができ、ベルトコンベアを使った流れ作業で大量生産されるようになってからである。以後、フォード社の工場があらゆる生産工場の原型となり、大量生産、大量消費と言う、今までと全く違った経済社会になっていった。飛行機もまた急速な発展を遂げた。わずか十馬力の動力エンジンで空を飛んだライト兄弟からはじまり、第一次世界大戦が刺激となって、どの国も空軍を持つようになり、次々に新型機が開発され、約二十万機が製造された。第二次世界大戦では、さらに重要性が高まり、アメリカでは一万二百機を持ち、戦争が終わるまでにアメリカは二十九万機を生産し、日本は六万八千機を生産した。戦争中に開発された圧倒的航空機生産能力によって、アメリカは戦後の航空界をほぼ独占した。また二十世紀後半の世界を大きく変えることになったのは、ロケットである。ライト兄弟が空を飛んでから五十八年後にガガーリンが宇宙を飛び、それからわずか八年後、人類が初めて月に着陸するという快挙を成し遂げた。二十世紀初めはまだ誰も空を飛んでいなかったのに、今では年間四億人以上が空を飛び、すっかり大衆化していった。このようなあまりにも急テンポな発展があらゆるテクノロジーに見られるようになった。社会の急速な産業社会化を支えているのは電気だから、その国の総電力量が産業の指標になった。アメリカの場合、最近では三兆キロワット時を超えている。
  テクノロジーの発展とそれを利用しての産業活動の飛躍的増大が二十世紀最大の特徴と言える。その基盤となるのがサイエンスである。つまりサイエンス、テクノロジー、産業活動は、親亀が小亀を乗せる形で三重の階層構造になっている。一番下にいる親亀のサイエンスが急発展しているというのが二十世紀の特徴であり、まさに知的爆発の時代である。

 

 さて今申し上げたような時代に、沈没しないためには何が大切なのかだが、それは社会の知的レベルに最も大きな影響を及ぼす教育の問題である。各国の中学生一、二年生の理科が好きな生徒の割合を調べた結果、将来科学を使う仕事をしたいと考える生徒の割合は世界最低、理科はやさしいと思う生徒の割合でも世界最低である。これから益々サイエンスが重要になってくるのに、日本にはその時代を担うべき若者が欠けつつあるのだ。暗澹たる思いになってくる。

 

 

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