闘牛とフラメンコの魅力
 
 スペインと言えば闘牛である。知人で二年ほど、スペインに住んでいた人に、闘牛はどうでしたかと尋ねると、やみつきになるほど素晴らしいと絶賛していた。この一番の見所は、闘牛士が首尾良く牛を仕留めるクライマックスにあるのではなく、その後にやってくる場面である。闘牛士相手に力の限り闘った雄牛が力尽きて、ドッと音を立てて地に転がる。断末魔の苦しみに体をひくつかせた牛は、やがてピクリとも動かなくなる。その巨体に引き綱がかけられ、馬が引っ張って場外に運び出されていく。もの悲しい葬送の音楽とともに、牛の死体が引かれ、闘牛場の砂の上にその跡が長くつけられる。やがて出場門が開き、馬と牛がその向こうに消えていく。見物客は立ち上がり出口に向かってぞろぞろ歩き出し、場外に消える牛の死体の後ろ姿など誰も気にかけない。そこではじめて、闘牛という大きなドラマの最大の見せ場があったのだと言うことが分かる。よく闘った者が倒れ、生命の輝きそのものであった闘争心を噴出させ、見物客を魅了していた巨牛が、生命を失った瞬間にただのモノとなる。モノに化したほんのちょっとあとには、巨牛の屍体が誰の関心もひかず、ただの廃棄物となってしまう。見物客たちは廃棄物の行方には全く無関心、屍体などには一顧だにしない。このドラマの終わりの全ての変化のプロセスが、何とも言えずもの悲しいのである。

 この本当のラストシーンを味わうためには、その場にいなければならない。二時間以上かけて、前座から始まる闘牛シーン、だんだんランクが上がって、最後の決戦。日本の大相撲と同じで、この全プロセスを充分味わうために、全部見てゆく必要がある。最後のメイン、牛殺しのクライマックスシーンだけ見て、闘牛を見たつもりになるのは、テレビの大相撲ダイジェストで、それも最後の仕切り直しが終わって、時間いっぱいで立ち上がってからの勝負を見ただけで相撲を語るようなものである。肝心なのは、そこにいたるプロセスと、終わった後の悲劇的な余韻なのである。
  たっぷり時間をかけることが必要なのは、フラメンコも同じことである。日本から観光旅行に出掛ければ、見事なフラメンコを見ることができる。それで本場のフラメンコを見たつもりになって喜ぶ。はっきり言って、観光客向けのセッションとして行われた演奏で、適当なところで気を抜いてお茶をにごしたものにすぎない。いいフラメンコには、演奏者と観客の一体感が不可欠の要素として必要なのだが、観客の質が低いと演奏者も気合いが入らなくて、そういうレベルで終わってしまう。
  スペインに行ってすぐにわかるが、一日の時間の組み立て方は、ヨーロッパの他の国とは全く違う。朝は九時くらいに始まるが、午後二時からの昼食はみな家に帰ってゆっくりとり、シェスタといって必ず昼寝、午後四時までは誰も働かない。そのあともう一度オフィス、商店に出てきて午後の労働を八時までする。それから殆どの人が夕食の前に街をそぞろ歩きして、一杯飲み屋で小皿をつまんでワインをひっかけ、お喋り社交タイムをたっぷり取り、その後でディナーとなる。ディナーは常識的には九時くらいから始まり、フラメンコはディナーをしっかり食べてからだから十時くらいになる。しかしはじめの頃の演奏は前座で、本当の本気を出すのは夜中の十二時過ぎなのである。観光客がみな帰って、客の大きな入れ替えがあり、なじみの客がどっと入って、雰囲気がまるで違ったものになる。「子供の時間、観光客の時間はハイこれで終わり。ここからは大人の時間だよ」という感じになる。演奏もそれまでとは全く違うものになる。気合いの入れ方が違うのだ。踊り手の床の踏みならし方、歌い手の発声、ギターのかき鳴らし方、演奏者同士がかけ合うかけ声など、すべてが二ランクくらい上になる。かけ合いの調子がどんどん上がっていき、入魂の演奏を次々に披露してゆくようになる。見事な演奏が終わると、舞台の上の仲間からも、観客席からも感嘆の声がもれ、大きな拍手がわく。すると別の演奏者が立ち上がって、踊るか声を出すかギターをかき鳴らして自分の演奏をはじめる。どんどん高まっていき、演奏者は鬼気迫ると言っていいような、神がかり状態のレベルに達する。観客は思わず息を飲んで、茫然とそれを見守るばかりという時間がおとずれる。そういう瞬間をフラメンコでは、「ドゥエンデ」魔物にのりうつられるという。ここまで達したフラメンコが本当のフラメンコで、ドゥエンデを味わいたいからいい店、いい演奏者を選び、そして何より大切なのは良い時間である。そのために必要なのは、今日はとことんフラメンコに付き合ってやろうと思ったら、昼間からスペイン人の生活時間に合わせ、自分もたっぷり昼寝をして、体調を整えておくことである。

 

 フラメンコに限らず、旅では機会さえあればバレエやオペラなど、積極的に足を運ぶ。日本に一流のアーティストが来るときは、目の玉が飛び出るほどお金を取られるが、その国で見れば、たいていのものが驚くほど安い。これぞ外国へ行ったときの贅沢と思って、行く先々で億劫がらずに足を運び見ることをお勧めする。

 

 

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