伝統的社会の叡智
 

「子育て」に悩んでいる親は多い。子供を育てる規範は時代によっても社会によっても随分違うものである。むかしは子供の教育方針として、「嘘をつかない、盗みをしない、他人に迷惑を掛けない」という徳目があった。しかし他人に迷惑を掛けないということ一つをとっても、例えばアメリカ人が子供に教えたいことの徳目トップ二十五にも入らない。またこういう話がある。ニューギニヤのある村から石油が出た。その開発権利を買い取るため、アメリカの大きな石油会社は、優秀な国際弁護士を何人も現地に送り込んだ。こう言うと、素朴なニューギニヤ人は国際弁護士に騙されたんだろうなと思うかもしれないが、結果は逆だった。彼らがやったことはまず「嘘」をつくことだった。漸く合意にこぎ着けたときは、その次に会ったとき、「そんなことは言ってない」と反故にすることを繰り返した。弁護士は交渉のプロだが、嘘をつかれることに慣れていないから、対応が出来ず時間だけが過ぎて行く。さらに弁護士は時給八百ドルで働いているが、ニューギニヤ人は時間だけは無限にある。結局腕利きの弁護士たちは音を上げてしまった。

ニューギニヤ人にとって大事なのは嘘をつかないことではなく、欲しいものを得ることだった。また他人に迷惑を掛けないというのも、例えばブラジルのピタハン族が子供に何を望むかを調べた研究では、まず「独立性」「タフで強いこと」それから「自分で生きていけること」。つまりジャングルの過酷な環境ではジャガーや毒蛇など危険な動物、或いは伝染病や洪水等、自分の力でサバイバル出来ることが最も重要視されるのである。このように現代の子育てで親は何を徳目として子供に伝えて行くかは、大変難しいことである。多様な価値観、様々な生き方がある社会では何を子供に伝えて行くか、改めて自分自身の生き方と照らし合わせ、考えなければならない。
 話は変わるが、以前石原慎太郎元都知事が、ある科学者から聞いた話として、文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」で、女性が子供を産めない年齢になっても生きているのは無駄で罪である。この発言が物議をかもしたことがある。いわゆる「ばばあ発言」である。これは高齢者への対応はいかにあるべきかと言う問題にも繋がる話である。たしかに人のメスは生殖可能年齢を超えた後もかなり長生きする。これを生物学的にどう考えたら良いのか。そこに生物学者福岡伸一氏は「おばあさん仮説」を立てた。
生物学では、今ある生物のあり方に、何らかの合理性があるからそうなっていると考える。合理性とは、生き残る上で有利であると言うことである。だから生物において、「無駄で罪」なことはありえない。もしそのような状態が起こったとしても、早晩淘汰され消えてしまう。だから人間の場合、女性が長生きすることについて、何らかの合理性があるのではないかと考えるのが「おばあさん仮説」である。
子孫を残す戦略として、生物が採用している方法は大きく分けて二通りある。出来るだけ沢山の子孫を、出来るだけ効率よく産むという方法。たとえば何万個もの卵を産んで、生み終わったらさっさと命を終える魚のような生きもの。もう一つの戦略は、産んだ子供を出来るだけ手厚く、丁寧にケアして育てる。その分沢山の子供を一度に産むことは出来ないし、子育てに手間ひまがかかるうちは、簡単に次の子供も生めない。どちらが賢明かは一概には言えない。数万個の卵のうち立派な成魚になるのはほんの数匹。一方、子育てして生涯に育てられる子供の数はせいぜい数人。大量に卵を産む方法は、その中で何とか次世代へ命をつなぐ個体が生き延びる確率に託すしかすべはない。産んだ後は運を天に任すということである。しかしケア型の戦略の方は、めんどうな子育てには時間と労力がかかる。なかなか一人前にならない。親はいったどの時点まで子供の成長を見守ればよいのかである。現代社会ではたとえ体が成熟しても、まだまだ子供は子供である。たとえ子供が成人に達しても、その先何もなさなければ生命の系譜はそこで途絶してしまう。だから一番確実なのは、その子が成人して、結婚して、次の世代を作るところまでを見届けることである。親は孫の誕生をもって初めて一安心できるのである。
つまりケア型戦略においては、各世代は、次世代をつくるだけでなく、次々世代までをケアするところでようやく一つの仕事を達成することになる。おばあさん、おじいさんは寿命が延びた時間を使って、子供や孫の面倒を見ることが出来るのである

 この世界は非常に多元的で動的平衡で成り立っている。様々な因果関係が常に複雑に絡み合い、影響しあった結果、世界はたまたまこうなっているのである。様々な問題の解決策を、伝統的社会の叡智に学ばなければならないのだ。安倍政権が新しい政策として、祖父母が孫に贈与する教育資金に対しては一定額まで課税しないと言うことを打ち出したが、これなどは、生物学的に合理的であると言うことが出来る。はたして安倍首相がそこまで深慮しての決断だったかは知るよしもないのだが。

 

 

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