生物の多様性
 
生物の多様性をいかに保つかは、今や全地球的問題である。近年日本でその国際会議が開かれ、一層関心が持たれるようになった。生物の多様性で最も重要なことは、道的平衡である。つまり「それを構成する要素は絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、恒常性が保たれる」ということである。この世界では、秩序あるものには等しくそれを破壊しようとする力が情け容赦なく降り注ぐ。形あるものを壊し、熱あるものを冷まし、輝けるものを色褪せさせる。何者もこれに反することはできない。これを防ぐために工学的発想に立てば、ものをもともと頑丈に作って破壊の力から守り抜くことが考えられる。建物、道路、橋などの人工物はみなこの考え方によって作られる。しかしどんなに頑丈に作っても、やがて破壊の力はそれを凌駕する。しかし生命の時間はずっと長く、何万年、何億年である。生命は工学的な思考とは全く別の方法を採用したのである。わざと仕組みはやわらかく、ゆるく作る。そして破壊する力がその仕組みを破壊することに先回りして、自らを敢えて壊す。壊しながら作り直す。この永遠の自転車操業によって、生命は揺らぎながらも何とかその恒常性を保っているのである。壊すことによって蓄積するエントロピー(破壊する力)を捨てることが出来るからである。

 ではなぜ生命は絶えず壊されながらも一定の平衡状態、一定の秩序、一定の恒常性を保ちうるのか、それは、その仕組みを構成する要素が非常に大きな数から成っていて、又多様性に満ちているからである。その多様性は互いに他を律することによって関係性を維持している。つまり動的平衡において、要素の結びつきも数が夥(おびただ)しくあり、相互依存的、相互補完的である。だからこそ消長、交換、変化を同時多発的に受け入れることが可能となり、それでいて大きくバランスを失することがないのである。
動的平衡の視点から地球を捉え直し、ミクロな眼で見ると、地球上のすべてのものは、生物・無生物に拘わらず、物質はみな炭素、酸素、水素、窒素など、さまざまな元素から成り立っている。それらの元素それぞれの総量は昔から変わらず一定である。それは絶え間なく結びつき方を変えながら、循環している。循環の直接のエネルギー源は太陽だが、元素を次々に集め、繋ぎ換え、バトンタッチするもの、つまり循環を駆動している働き手は一体誰だろう。それはこの地球上に少なくとも数百万種あるいは一千万種近く存在する生命たちである。彼らがあらゆる場所で、極めて多様な方法で絶え間なく元素を受け渡してくれているから、地球環境は持続可能なのだ。生物は地球環境というネットワークの結節点に位置している。結び目が多いほど、結ばれ方が多岐にわたるほど、ネットワークは強靱でかつ柔軟、可変的でかつ回復力を持つものとなる。それゆえ地球環境という動的平衡を保持するためにこそ、生物多様性が必要なのである。
生態系における生命は互いに食う食われるの弱肉強食の関係にありつつ、一方的に他方を殲滅することはない。それは自らの消滅を意味するからである。食物連鎖は文字通り網の目のように張り巡らされている。植物と昆虫、ヒトと腸内細菌、細胞とミトコンドリヤ(細胞の小器官のひとつで、独自のDNAをもち、自己増殖する。細胞エネルギー生産の場)、病原体と宿主と言ったあらゆる結び目において、精妙な共生が見て取れる。もし多様性が局所的に急に失われると、それは動的平衡に決定的な綻びをもたらす。受粉の道具として品種が均一化されすぎたミツバチに次々と異変が生じている現象はその典型的例である。国家間のエゴや効率思考が先行すれば、生物多様性の理念はあっという間に損なわれてしまう。地球環境はしなやかであると同時に、薄氷の上に成り立っているのである。

 すべての生物は自らの分際を守っているのに、ヒトだけが自然を分断し、見下ろすことによって分際を忘れ、逸脱している。ヒトだけが生物の動的平衡に土足で上がり込み、連鎖と平衡を攪乱している。私たちだけが共生することが出来ず占有を求めてしまう。ヒトはもう既に何が自分自身の動的平衡なのかを知らない。動的平衡(ニッチ)とは、多様な生命が棲み分けている場所、時間、歴史が長い時を掛けて作り出したバランスである。今私たちが考えなねばならないのは、生命観と環境観のパラダイム・シフトなのである。
以上は福岡伸一著「動的平衡」より引用させて貰った。生物学から見ると、どうも人間が一番害虫である。自分に都合の良いように収奪することしか考えず、そのために生態系のバランスを崩しているのだ。世界規模で進む乱開発や地球温暖化など、待ったなしの状況である。このまま突き進めばやがて人間が最初に滅びるのかも知れない。そうならないためにも、今からでも、人間の分際を知らなければならないのではないだろうか。

 

 

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