尼僧の人権
 
 平成十四年四月一日、岐阜市野一色に凡そ四十数年振りに臨済宗唯一の尼僧堂が開単された。以前は京都の北白川に尼僧堂があったが、指導者が亡くなって、爾来尼僧さんの修行できる道場は無くなってしまった。その間修行を志す尼僧は男僧堂に特別頼んで通参した。つまり日常は尼寺に居て朝晩参禅に通ったのである。これもたまたま近くに頼める僧堂のある者は良いが、無ければそれも叶わぬわけである。従って大半の尼僧は本格的な修行はせずとも住職の資格を与えるという制度になっていた。これは一見女性を保護しているように思われるが、実は、女なんかどうせろくな修行は出来ないのだから、まっ、良いかと言う大変軽蔑した特例なのである。地域によっては尼僧さんは住職していながら小僧扱いで、法儀が催されても本堂での行事には参加させて貰えず、専ら作務着姿で台所辺の雑用専門だった。長い間にこれが定着して、男僧も尼僧も、それで何の不都合もないかのように過ごしてきた。しかしよく考えてみればこんな不平等はなく、世間では男女共同参画が当たり前となり、企業でも採用、給与、昇進、職種等に男女差別をしようものなら、たちまち法律違反となって罰せられる。宗門という閉鎖された社会だからこんな事が堂々とまかり通ってきたわけである。

 そんな悪習が永年続いてきた宗門に一石を投ずる、大変立派な宗務総長さんが妙心寺派に現れた。この方が一念発起され、臨済十四派合同で尼僧専門の道場を新たに作ることになった。資金は各派で出し合い建てることが出来ても、指導する尼僧の師家は未だ居ない。そこでこれから何十年かかって、尼僧の指導者を育てて行く指導者が要る。またどこの寺で僧堂を引き受けてくれるかである。大半は住職とその家族が居るわけで、家族の居ない寺でなければならない。また一般寺院では専門道場に必要な施設はないので、禅堂や聖侍寮、寮舎などを新たに増築しなければ成らず、その為のスペース、また寺が専門道場になることを檀家が理解してくれなければいけない。それやこれや深慮の結果、野一色の天衣寺という尼寺が指名された。そこに居られた尼僧さんも突然降って湧いたような話しで、最初随分迷われたようだったが、発願された宗務総長さんの高い志に動かされ引き受けられた。次ぎに指導者であるが、近くの私にやってくれという話し、これも思いもよらぬ依頼で惑ったが、総長さんの熱意に負けてお引き受けした。ざっと以上のような経過をたどって尼僧堂は復活し爾来十数年が経った。当初はたった五人だったが、全国唯一と言うこともあって、徐々に知られるようになり、今では十数人の大所帯になった。また海外からもやってきて、現在フランス人とドイツ人の尼僧が、言葉のハンディーを乗り越えて頑張っている。
開単以来既に相当数の尼僧が住職や副住職になって、寺院の現場でそれぞれ活躍している。それも従来のような日陰の存在ではなく、第一線でバリバリやっており、頼もしい限りである。過日、関東方面の寺に住職した尼僧などは、それぞれの本山で住職資格を取得するための検定試験のようなものがあるのだが、その堂々たる態度、偈頌の唱え方など、男僧堂出身の者を凌ぐほどで、周囲の者達が驚いたという話を聞いた。天衣僧堂はほぼ瑞龍僧堂の規矩に従って日々の修行が行われており、朝晩の参禅にしても女性だからと言って手心を加えるとか、妥協することはまったくない。男同様にガンガン叱り、罵倒し激発している。つまり如何なる差別も、女性に対し蔑視になるからである。
しかし尼僧堂も決して順風満帆で来たわけではない。全くゼロから立ち上げて行くことは想像以上に大変なことだった。放って置けば只の烏合の衆になってしまい、さりとて、「こんな当たり目の事も分からないのか!」といきなり怒鳴りつければ、相手はおろおろするばかりで、良い結果に繋がらない。当人達に罪はないのだが、何も知らないほど始末の悪いことはない。懇切丁寧に正しい僧堂のあり方を教えて行く外ないのである。これは言うほど簡単なことではなく、根気と我慢と親切以外のなにものでもない。何事も日々の積み重ねで、こうした努力の甲斐あって、今ではスムーズに規矩に準じて行われ、尼僧自身も自力で考え工夫するようになった。これらは勿論私一人の力ではなく、尼僧堂で直接面倒を見る堂頭のお陰による。

 私は最初、二つも僧堂を見る大変さにたじろいだが、宗門の中で女性が正当な扱いを受け、これからは女性の視点から衆生済度してゆく道が大きく開かれれば、臨済宗門に画期的な新しい歴史を刻むことになると信じている。そう考えると、これを発願された宗務総長さんの慧眼に改めて敬意を表し、その一端をになうことが出来るのは、私にとっても望外の幸せである。

 

 

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