東日本大震災の教訓
 
 平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、宮城県沖を震源にマグニチュード九の地震が発生した。震源域は岩手県沖から茨城県沖に到る南北五百キロ、東西二百キロという広範囲に及んだ。波高十メートル以上、最大遡上高四十メートルにのぼる大津波が発生し、東北地方から関東の広大な範囲で被害を被った。この震災により死者は一万数千人、行方不明者五千人以上、失われた漁船二万二千隻。漁港は三百ケ所、農地二万ヘクタールが壊滅的被害を受けた。また地震と津波により、東京電力福島第一原子力発電所は、全電源が喪失し、原子炉の冷却ができなくなった。そのため大量の放射能が放出され、周辺住民は長期の避難を強いられている。被害総額は二十数兆円にも及び、完全復旧には十年以上の歳月がかかると言われている。かけがえのない肉親を失い、家も財産も職場も全て失い、その精神的苦痛、将来への不安等々、被害を受けられた方々の長期間に亘る塗炭の苦しみを思うと胸が痛む。

 今回の大震災は六十数年前、戦争により焦土と化した日本を彷彿とさせ、単なる地震災害と言う程度を遙かに超えている。直後から有識者の様々な意見が寄せられ、我々も改めてこの大震災の意味するものを考えるようになった。石原都知事は自販機とパチンコを止めればそれだけで一千万キロワットの節電になると警告した。また曾野綾子氏は、「国家が全て何かをしてくれると考えるのは違う。めいめいが自分で考え行動する癖を身につけることだ。それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。被災地の支援も国家に頼るのではなく、「痛い」と感じるくらい自らのお金を出すことだ。出さない人がいてもいい。だがそうした人は人権だ権利だと言わないことだ。」と厳しい意見を述べている。
さて、ここで私は別の観点から今回の大震災について思うところを記す。一つは人間の欲望が際限なく頂点に達し、その極みに鉄槌が下されたのではないかと言うことである。例えば電力だが、諸外国から比べると高いと言いながら、我々庶民の生活ではさほど痛みも感じず、身の回りには便利な電化製品が溢れかえっている。より便利で快適な生活のために使いたい放題で、年々電力使用量は増えるばかりである。原発事故を契機に、こんな危険極まりないものを何故作ったなどと言うが、我々が作らせたのではないか。外国から帰って空港から自宅への道路を走って、直ぐに思うのは異常なほどの明るさである。交通事故や防犯などそれなりの理由はあるのかも知れないが、どう見てもやりすぎである。先程の自販機にしても同様で、確かに有れば便利には違いないが、無くとも日常生活は成り立つ。また車社会と言われ、一家に二,三台は当たり前の世の中だが、交通不便の田舎は別にして、都会で本当に必要なのだろうか。もっと自転車の活用を考えても良い。この様に一つ一つ我々の周囲を見回して、ただ漫然と便利さや快適さのみを追求していったら、いつかは頂点に達し瓦解する。
岸根卓郎氏の説に依れば、世界の文明は凡そ八百年を周期に大転換するという。例えば鎌倉時代、鴨長明が「方丈記」を著したが、その中には大地震が起こり竜巻や落雷、火災などで、賀茂の河原には死体が累々として、当にこの世の地獄だと書いてある。これが千二百年前のことだから、ちょうど八百年になる。世界の人口の推移でも、三百年前は凡そ数億人だったのが、産業革命以降、幾何級数的に増加の一途を辿り、二千年には六十億人を突破した。この割合で行くと四十年間で人口は倍増すると言われている。人口爆発である。自然界ではこういう事があるそうだ。アカハラマイマイガは四年ごとに異常発生する。モミの木などに密集し餌を求めて木のてっぺんまで登り詰め、びっしりと固まって餌を求め必死に天を仰ぐ。そう言う状態になると不思議なことにアカハラマイマイガの腸を溶かすウイルスが発生してどろどろに溶けた状態で死んだ幼虫の固まりが木のてっぺんに出来るそうだ。もし人類が核戦争を起こせば、或いはペスト菌などの強力な最近が発生すれば、地球全体を覆い、人類は死滅してしまう。過去にもスペイン風邪の大流行、また最近では鳥インフルエンザの発生など、余所事とは思えない。また経済成長などでも同様なことが言える。日本では一人当たりのGNPが二十数年前急激に上昇しアメリカを抜いて二万三千ドルに達した。しかしその後バブルが弾け、あっという間に急降下、爾来今日に至るまで低迷を続けている。その反対が中国である。最近GDPでついに日本を抜き去って世界第二位になった。近年の急成長は目を見張るものがあるが、必ず何かを切っ掛けに急降下するのは間違いない。「満つれば欠く」である。

 さて人の幸福とはどういうのを言うのだろうか。それは所得と欲望のバランス、物と心のバランスである。幾ら所得が多くなっても欲望が大きくなれば幸福度は却って小さくなる。従って、「足(たる)を知る」という自制心を持たなければいつになっても幸福にはなれない。我が国は幕末から明治以降、西洋の物質と利潤優先の価値観に追随してきた。しかしこの大災害を契機に、自然と心優先の東洋的価値観へ大転換し、真の幸福とは何かを改めて、一人一人が考え直すべきではないかと思うのである。

 

 

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