この世に生きる価値
 
 数年前より市内の有志が集い、漢学者のS先生を招き勉強会を開いている。先生は或る大学の学長をされ、多忙な日々の中、我々素人のためにわざわざ岐阜までお出かけ下さる。約二時間の講義は、論語・朱子学・宗教など多岐にわたり、毎回大変興味深い話を聞くことが出来る。一年ほど前には、私の寺へも来て下さり、僧堂の中を見て頂いたり、坐禅も組んだりと、気さくな先生の人柄に間近に触れ、人間味にも一層親しみを感じていた。ところが今年一月の講義から突然休講になってしまった。講義は二ケ月に一回ほどの割合で開かれていたのだが、どうしたのだろうと案じていると、ひとづてに癌に罹って目下闘病中と聞いた。先生は大変な愛煙家で、常にたばこを口から離さず居られたので、肺癌にでもなられたのかと思った。数ヶ月、間を置いて、久しぶりに講義が復活することとなり、やれやれたいしたこともなく、これからも先生の講義を聞くことが出来ると喜び勇んで出掛けた。当日演台に昇られた先生の様子は、左目を眼帯で覆っていたのが少し気になる程度で、後は今までと別に変わった様子は見受けられなかった。その日の講義は朱子学について、弟子の鄭可學が朱子語類の中で述べている一節で、A4版に三行ほどの短い文章であったが、解説に入る前、ご自身の病状についてありのままを話された。

それによると、今年の元日、家族揃ってお節料理を食べたのだが、どうもいつものように美味しくない。年末頃よりやや食欲も衰え、少し胃の当たりが気にはなっていた。しかしその日はさらに調子が悪く、ついに晩から全く食事が喉を通らなくなってしまった。二日・三日とも全く食べたくないので、さすがに異変を感じ医者に診て貰おうと考えた。しかし正月中でどこも休診、困り果てたとき、ふと友人で心療内科の医者が居ることを思い出し、早速電話をすると直ぐお出で下さいというので出掛けた。友人はお腹の辺りを触診すると、知り合いの病院を紹介するから、精密検査をするよう勧められた。翌日出掛けいろいろ検査をしたところ、即入院、手術を宣告された。そこで大学のこと、そのほか諸々の仕事のことを考え、入院は成るべく短期間にして欲しいと言うと、担当医はちょっと顔を曇らせ、そんな生易しい状況ではないと言う。詳しく説明を求めると、既に癌は胃全体に広がり、他の臓器へも転移が見られ、手術はもはや不可能だと言うのである。さし当たって、現状では食事が全く摂れないので、食道から腸へバイパスを通す手術をする。後は抗癌剤で少しでも延命を計る方法があるという説明であった。しかし抗癌剤による副作用で、二次的苦痛を堪え忍ばなければならないことを考えた時、一切の延命治療は止めて、このままで生きられるだけ生きるという決断を下したというのである。一月の時点で余命半年と宣告されたわけだから、六月十日の今日の講義は、通常で行けば成り立たないのだが、約二時間立ちっ放しで演台と黒板の間を行き来しながら精力的に話しをされた。
冒頭に先生はこう言われた。「死を覚悟してじっと自分の人生を振り返り考えた。私がこの世に存在する理由は果たして何なのだろうか。学長をしていると言っても、私でなければならないと言うことはない。居なくなればその代わりは幾らでも居る。では朱子学研究の分野ではどうかと考えると、私が居なくなっても他の研究者が幾らでも居る。また家族にとって私の存在は何なのかと考えると、確かに掛け替えのないものかも知れないが、死んだ直後や精々一周忌ぐらいまでは想い出してくれる。しかし三周忌にも成れば、すっかり忘れ去られ、皆で顔突き合わせてハワイにでも行こうかと相談するのが関の山。そのように私でなければならない存在理由は、結局何もないと言うことが分かった。」

 では、余人を持って代えることが出来ない存在理由は一体何なのか。この答えについては、先生は何も仰られなかったが、二時間、体力的にもさぞきつかったに違いないが、懸命に朱子学について講義をされたその姿こそが、この世に生きる存在理由だったのではないかと感じた。先生は死の覚悟が出来て、その淵に佇みながら、懸命に講義をされたに違いない。人間はいかなる危機的状況下にあっても、沈着冷静さを失わず、本来の姿を全うし、自己の魂を輝かせられるのだろうかと考えさせられた。私がもし同様な状況に直面したとしたら、どうであろうか。禅僧なら常に生死巌頭に立ち、いつでも死を悠々と受け入れられると思うか知れないが、決してそんなことはない。修行によって得られたものと言っても、所詮は理屈に過ぎない。実際に自分が死の極みに佇んでみなければ、どうなるのかは誰にも解らない。近年親しい人が次々に癌に冒され、余命幾ばくもないという深刻な状況を聞くにつけ、「自分がこの世に存在する理由は何か」を、考え直さなくてなならないと思った。結局、日々自分の人生を支え、生き甲斐を感じている事柄こそが、自分を支えて行くのかも知れない。S先生の姿を目の当たりにし、生きた証拠を垣間見る思いであった。

 

 

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