2005年1月 四国遍路
 
 平成八年三月一日、三泊四日、第一回四国歩き遍路の始まりであった。私と連れの老婦人二人、それに荷物運搬係りの隠侍計四人である。私は修行で鍛えてあるから良いようなものの、連れの二人はごく平凡な主婦であるから運動なども特別していない。年齢も既に六十を越えているので、これから何年かかるか解らないこの遍路を、最後まで無事に完遂出来るか心配しながらの旅立ちであった。
 第一回目は天候に恵まれ、行程も比較的平地が多く、札所も近くにあるので次々に巡拝を進めた。一ヶ所ちょっとした山越えがあったものの、満開の梅林の中、頻りに囀るウグイスの声に励まされながらの快調な滑り出しであっ。それから後は一年に三回のペースで計画され、平成十五年六月、ついに全ての行程を無事に終えることができた。七年間、全行程千四百キロであった。この間様々なことが思い出されるが、とりわけ印象深いこと があった。
 それは三十八番札所金剛福寺から三十九番延光寺へ向かう途中の出来事である。足摺岬の先端にある金剛福寺は札所の中でも特に有名で、近くには御厨人窟(みくろどくつ)がある。このコースは一端二十キロほど国道を逆戻りし、そこから鬱蒼とした木々に覆われた狭い山道に入る。曲がりくねって進むと、やがて小さな集落が見えてくる。ここは三原村来楢というところで、およそ三十戸ほどの家々が細い道沿いに並んでいる。右手には最近植えられたばかりの稲がなびく田んぼが広がり、満々に張られた水面は、照りつける太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。山間を通り抜けた涼しい風がそよそよと吹いている。人っ子一人見られない静まりかえった集落にさしかかったとき、突然何百というウグイスが一斉に鳴き出したのだ。こんなに沢山のウグイスが鳴いているのは今まで聞いたことがなかった。周囲の山から遠く近くそれはまるでウグイスの大合唱で実に美しい声であった。六月の猛暑のジリジリ焼け付くような日差しの中を、延々と歩き続けてきたところで出会したこの情景はまさにこの世の桃源郷を思わせた。
 よく考えてみると山間の風景も田んぼもウグイスも一つ一つを取り上げてみればさして言うほどのものでもない。ましてや土地の人にとっては日常のごく当たり前の風景に違いない。それが我々にとって、どうしてこんなにまで心に深く染み渡るのだろうか。思い返せば十二番札所からの山越えで見た鬱蒼とした孟宗竹の林も素晴らしく、雨上がりの澄んだ空気の中、瑞々しい竹の緑は目に焼き付くようだった。二十番札所から急坂な山道を延々と登って行った私の法衣姿はどんな眺めよりも素晴らしかったと、同行のご婦人方は言っていた。また二十二番へ向かう道すがら見た川の水の何ときれいだったことか。小魚が銀輪踊らせキラキラと輝いていた姿も脳裏に焼き付いている。また三十八番札所へ向かう道すがら眼下に広がる大岐の浜の白砂青松も印象深い。そのほか七十七番札所から真っ直ぐ遥か前方霞の中、小さな五重の塔のシルエットに向かって歩いた山沿いの道など、一つ一つがどれも深く心に残った。これは一体何故なのだろうか。私はこの歩き遍路の数年前、一度信者さんと車で八十八ヶ所全てを巡っている。だからほぼ同じ景色を眺めたに達いないのだが、印象はまるで異なったものだった。この二つの相違はいったいどこからくるのだろうか。
 それは創造の病いということではないだろうか。七年間の道中どれだけ苦しい思いをしたか知れぬ。そぼ降る雨の中、急坂な山道を迷いながら行きつ戻りつしたこともあった。道を尋ねることも、雨の中では腰を下ろして一息つくことも出来ない。また木枯らしの中、国道沿いの道を大型トラックの排気ガスを浴びながら終日歩き続けたこともあった。つまり苦しみを味わうことがなければ、心に新たな価値を創造してゆくことは出来ないのである。言うのは簡単なことだがこれが実際難しい。大抵は誰でも苦痛は嫌だから適当な理由を付けて逃れようとする。そうしたことで人生何も不都合は生じない。しかし何時もこんな生き方を選んでいたら心の深みは決して得られるものではない。
 栄西禅師の次のような言葉がある。「大 いなる哉、心や。天の高きは極むべからず。而るに心は天の上に出づ。地の厚きは測るべからず。而るに心は地の下に出づ。日月の光は踰ゆべからず。而るに心は日月光明の表に出づ。大千沙界は極むべからず。而るに心は大千沙界の外に出づ。其れ太虚か、それ元気か、心は則ち太虚を包んで元気を孕むなり。」
 私が四国遍路の七年間で得たものは、今まで見えなかった当たり前のことの中に、実は汲めども尽きぬ新たな価値があるということであった。その為には苦しみから逃れてはいけないのである。
 

 

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