2004年7月 芸者遊び

 
 ある人に大変お世話になったことがあり、何時かお礼の気持ちを込めて接待をと、ずっと思っていた。そんな折り共に食事をする機会に恵まれた。さて何処にしようかと考え巡らせていた時、ふっと気が付いたことがあった。彼は芸者遊びが好きだと聞いたことがあり、それなら今回は芸者を呼び喜んで貫おうと決めた。ところがどうしたら良いのか皆目分からない。そこで知り合いの料理屋の女将さんにその旨お話しをすると、「任しとい て下さい!」と引き受けてくれた。
 当日の夕方、件の料理屋に繰り込んだ。 まず型通りお膳が運ばれ料理を食べ始めると間もなく、二人の芸者さんが現れた。暫くすると一人が三味線を弾き、もう一人が舞った。飲むほどに酔いもほどよく回り、場の雰囲気にも慣れてきた頃、知人は芸者さんに三味線を爪弾きして貰い都々逸を詠いだした。その内年配の芸者さんも詠いだし、入れ替わり立ち替わりの都々逸合戦となった。

私は傍らで二人の遣り取りを目を丸くして眺めていた。都々逸の文句というのはなかなか粋なも ので、中には我々が修行で使う文句も飛び出した。例えば三千世界の烏を殺し主と添い寝がしてみたい”とか、声はすれども姿は見えぬ主は草葉のきりぎりす”などである。修行では公案を拈堤工夫し室内で見解(けんげ)を呈し、答えが合うと次に語を付け、場合によっては世語(せご)を付ける。この世語が図らずも都々逸に出てきた文句と合致したのである。修行とは結局人間の心の世界を突き詰めてゆくものだが、都々逸で表現されている世界も同じ心だと思った。そんなところから一部重なる部分があるのだろう。こうして宴会は大いに盛り上がり知人も大満足のうちに終わった。
 その晩はうちの寺に泊まって貰い、翌朝午前三時半には起床、以降の行事には全て参加して貰った。まず四十分ほど本堂で勤行した後、禅堂で一時間半坐禅、終えると次は日天掃除(寺の板の間を皆で手分けして雑巾掛けをする)、その後粥座(朝食・麦粥お椀二杯と沢庵二切れ)と続き、ほっと一息つくのが午前七時である。知人も久しぶりの僧堂体験で、気持ちが良かったと感想をもらしていた。それから自室で抹茶を点て一服差し上げ ると、昨晩のことが話題になった。彼は若い頃、ひょんなことから京都祇園の置屋の女将さんと巡り会い、随分懇意にして貰ったそうで、その彼が「岐阜もなかなかなもんですね〜」と感心していた。そこで私は「岐阜には、芸者さん達を支援する振興会という組織があって、協賛企業に寄付を仰ぎ、芸者さん達の稽古料をすべて負担しているのです」と申し上げた。すると彼は 「確かに其れも結構だが、芸者さんが幾ら芸を磨いても、客が 座敷に呼んで呉れなければ何も成らない。 だから支援するなら芸者さんを呼んだ客の方を援助したらどうか」と言った。彼は建築家なのだが、これと同様に幾ら腕を磨いても理解ある施主家が仕事を発注して呉れなければ腕の振るいようがない。職人でも芸者さんでも同じで、この人のために”頑張るのだ。惚れた男のために一生懸命腕を磨き芸を磨いて頑張るのだから、その為の労力や稽古代など何とでも工面するものだと、これが彼の言い分であった。
 確かにこの考え方に間違いはないと思うが、実際面となるとそう易々とはいかない。彼の様にその楽しみ方を知り、粋な都々逸を謡ったり芸者さん相手に楽しい会話が成り立つ人なら良いが、今時の若い者に其れは到底無理だ。
 この話を聞き、私は修行のことを思った。修行する上で最も大切なことは誓願である。何のために身を削るようにして修行をするのか、この願心がしっかりしていなければ一寸困難にぶつかるとすぐに挫折してしまう。いかなる壁をも乗り越えてゆく気力の源は大誓願であり、更にその願心を実現してゆく勇猛心がなければ駄目だ。これは困難を突破してゆく馬力である。だから女々しいやつには修行は出来ない。ではこれだけそろえばもう修行は盤石かと言えばそうではない。短期決戦なら良いかも知れないが修行は完成までに約二十年を要する。これほどの長期間となると、更に正念相続が大切になってくる。初発心(しょほっしん)をいかに持続するかということである。

ではこの力はどこから湧き出てくるのだろうか。心ほど強いものは無い。しかしまた心はど弱いものも無い。大誓願だけ で人間は意志を貫くことは出来ないのだ。 では何が持続し続ける原動力になり得るのか。それは師匠に惚れることではあるまいか。この人のために”である。弟子は師匠に褒めて貰いたいから頑張るのだ。人は理想や観念だけでは生きてゆけぬ。生々しい人間同士の関わり合いの中で奮い立つのである。芸者さんの話から思わぬ所へ話が行ったが、一途に生きることは何れの道も違いは無いと感じたのである。

 

 

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