2002年1月 小僧制度
 
 我々宗門で昔有ったが、今は無くなってしまったものの一つに小僧制度がある。日本が今のように豊かではなかった時代、まだ貧乏人の子沢山などという言葉が有った頃は、各地の大きなお寺では何人もの小僧を養っていた。大体小学四、五年生ぐらいで入門する。いまどきならとてもそんな年端もゆかぬ子を手放す親などいないが、当時はお寺に預ければ大学までやってくれた。そうすれば子供の将来により良い道も開けると、涙を呑んで小僧に出したのである。私が雲水修行をしていた頃はまだそういう連中が何人もいた。聞くところによれば、「お寺に行けば毎日羊羹が一本食べられるぞ!」とか、「東京の大学に入って勉強が出来るぞ!」などと言われて否応なく気が付いたら寺の小僧だったという例が少なくない。

 さて、僧堂では沢山の雲水が共同生活をしながら修行をしてゆく。現在の雲水の大半は親の元でぬくぬくとしたい放題して、在家の子供と変わらぬ生活をし、大学卒業後俄に修行者の装束に身を包み道場に入門する例が多い。昔はその中にも数は少ないが何人かが小僧で徹底的に鍛えられた、いわば筋金入りも居た。そういう者が何も知らないのほほん組をびしびしと鍛えたのである。小僧時代の小さい時から大人社会に混じって僧としての必要なことは何でも仕込まれていた。法式梵唄(ほっしきぽんばい)といって法要儀式での所作、出処進退などの作法、また鐘や太鼓などの鳴らしもの類、お経、或いは台所での飯の炊き方、おかずの作り方や雑巾掛け、庭掃除にいたるまで小僧組は何でも出来た。それ以外にも修行者としての心得、宗教家はどうあらねばならないかというような精神的なものまで含めて基礎教育が出来ていた。もし僧堂が大学出の、のほほん組ばかりであったら一見格好は颯爽としていても中身がないのだから単なる烏合の衆となり、修行の道場としては成り立たないであろう。つまり小僧の基礎教育があってその上に僧堂修行が存在するわけである。ところがだ現在はどうかと言うと、これらの基礎的教育は殆ど受けずにいきなり僧堂にやって来る。譬えるとウォーミングアップなしでいきなり駆け出すようなも ので、すぐ息切れして遂にはぶっ倒れてしまう。入門初日から二日間の庭詰め(玄関で一日中お辞儀をする) でさっさっと逃げ帰ってしまったり、その後五日間の旦過詰め (部屋の中でじっと壁に向かって坐禅を組む) 中に夜忽然と居なくなったりすることがしばしば起こる。何とかこの二つをクリアーしてもその後の修行の日々に、結局はついてゆけず早々に道場を去ってゆく。これは単に一つ一つの行が苦しいというだけのことではなく宗教家として生きるのだという精神の根本が出来ていない証拠である。
 そのための子弟教育は各寺院の和尚さん方の義務なのだが、現実には殆ど行なわれておらず、その重要な役目を自ら放棄していると言わざるを得ない。これは由々しき問題で、そういう半ちくな者を押し付けられる僧堂では仕方がないから小僧教育を一から手取り足取り教えることになる。もう少し何とか成らぬものかと思う。例えばお経ぐらいは覚えさせるとか、坐禅の組み方、衣や袈裟の付け方ぐらいは出来る様にしておくとかであ る。以前台所を覗いたら馬鈴薯の皮をまるで鉛筆を削る様にして剥いていた。包丁を使えるか否かなど小僧教育以前の問題である。
 このように曾ての僧堂が修行道場としてその命脈を保っていられたのは何人かの小僧育ちの雲水によって自浄作用が機能していたからと言える。菜っ葉一枚でも無駄にしようものなら罵声が飛んできたし、バケツ一杯の水でもうっかりそこいら辺に捨てようものなら酷く叱られた。木の根元に撒いてやれば生きるからである。このように一時が万事、全てが修行一点に集約されていた。しかし今日 ではどうだろう。この自浄作用は殆ど働かぬ。それはそうだ、もう小僧は一人も居なくなってしまったのだから。

 以前弁護士の中坊公平氏が司法の正義″と言っておられたが、私は憎としての良心″ということを言いたい。宗教などというものは一般の人からすると何となく解りにくいものである。その上お坊さんとのやりとりとなれば仏事という世間の人からすれば極めてまれな事柄で、大抵はそんなものかで済ませてしまうことが多い。だからこそもしお坊さんの側に良心が無くなりでもしたら、世間の人が知らないのを良ことにして勝手にやりたい放題と言うこともあり得るのだ。
 ではその 法の良心″はどう養えば良 いのか。それは小僧教育にある。一度は我が家を出て他人の釜の飯を食い、宗教家とはこう言うものだというのを膚で実感しなければならない。ぜひこの制度を復活して欲しいと念願している。

 

 

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