2001年6月 かあちゃん

 
 禅宗の道場での修行はざっと二十年といわれている。二十年といえば様々な葛藤や迷いが渦巻く二十代前半から三十代、四十代に至るわけで、一人の師匠に就いてもくもくと修行を続けることの難しさは並大抵ではない。そうして修行が終了したということになると、その証拠として印可状″というものが師匠から弟子に渡される。所謂老師″となるわけである。ところが勿論これで終わりで
はなく、更に今度はそれまでの二十年の修行を消す修行を続けてゆかなれけばならない。以後、これが何年続くのかは誰にも分からない。一生この修行で終わる場合もあるし、縁があればどこかの専門道場の師家となる場合もある。
 私は修行僧を大別すると二種類になると考えている。一つは老師になるということを目標にしている者と、もう一つは修行それ自体を続けてゆきたいから頑張るという者である。前者はその目的が達成された途端に目標を見失い、修行本来の姿とはかけ離れた余技に走り、やがて余技の方が目的になってしまうことが多い。後者は修行そのものが目的だから、たとえ老師になっても、それはあくまで
も修行上の通過点にすぎず、更に上をめざして精進を続けることになる。しかしだからといって後者ばかりが前者に勝るものというような短絡的な見方をするのは間違いで、優劣ではなくいわば家風の違いなのである。ではこの双方の違いはいったいどこから生じてきたのかと考えると、それは出家の志があったかどうかということになる。
 修行というと世間の人はすぐ辛いことと考えがちだが、やっている本人の方から見れば結構楽しくもある。修行をしているうちにだんだん興味がわいてきて、結果的に長く続けることになった例もかなりあるからだ。私は丁度十年過ぎた頃から自分のイメージとして、ある理想的な修行者の姿を思い描いていた。現実的にはその様な人に巡り会えることは非常に難しいであろうと思われたが、しかし
きっとこの世のどこかに居るに違いないと信じ続けていた。
 話は大分飛ぶが、もう二十数年も前のこと、道場での修行に一応の区切りを付けて寺を持つことになった。お世話をしてくださる人があって鎌倉の建長寺の塔頭に決まり、いよいよ明日は入寺という前晩のことである。挨拶をしておこうと師匠と二人で妙心寺の梶浦老師を訪ねた。ところが話は思いも掛けぬ方向に進み、ともかくこの話は駄目だと言うことになってしまった。その上、梶浦老師は 物凄い剣幕で先方の管長さんに怒りをぶつけ、即刻こちらに挨拶に来るようにと言うことにまでなった。しかしその後紆余曲折を越え、漸く一ケ月後に入寺することができた。
 当日師匠と二人、管長さんに非礼を詫びるとこんなふうにおっしゃった。「私は梶浦老師に叱られた晩、寝床に入っても寝ることができませんでした。そこで胸に手を置いて、『かあちゃーん、かあちゃーん』 と何度も心の中で叫んだんです。そうしたらすっと安らかになって、すやすや朝まで寝ることができましたよ」と、にっこりほほ笑みながら、それはまるで童心そのむのの語り口であっ
た。それを聞いた私はこの時、「やっぱり居たんだ!」と思った。今迄ずっと心に思い描いてきた修行僧の理想的な姿と重ね合わされ、我が意を得た思いであった。
 我々は修行中に何度も挫折しそうになり、右にするか左にするか、二者択一を迫られることがある。こんな時はいつも”お前は何のために出家したのか?”と自問自答する。そういう岐路を幾度も凌ぎ、その結果、二十年の修行を成し得るのである。また日々単調な修行は脳味噌がすり減って、かすかすになってゆくように思われる時期もある。こんな毎日を続けていたらやがて自分は廃人同様にな
って、世間に出ても全く使いものにならなくなってしまうのではないか。そんな時自分を支えたものは何時も”何んのために…”であった。出家″とはお金や財産、地位や名誉といった自分の周辺を飾り立てる全てのものを捨て去り、本来の無垢のまま、出世間に生きるということである。ところが教団という形になると、そこには世間と何ら変わりのない価値観が存在し、知らぬ間に俗界の真っ
只中に引き戻されてしまうのだ。これでは何のために出家したのか分からなくなる。

修行とは一言で言うと”捨てる”ことに他ならない。だからこそ二十年の修行も、次にはその二十年を捨てるところから新たな修行が始まるのだ。それでは捨て切ったその果てはいったいどのようなものだろうか。私の場合だが、不思議に母の懐に抱かれている気がしてくる。私を温かく包み、迷いも不安も何も無い
大安楽の境地。だからもし、ふっと淋しくなったときは、私は”かあちゃーん、かあちゃーん”と心の中で叫んでいる。
 

 

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