2000年10月 茶道具
 
 或る時、道具屋の主人から興味ある話を聞いた。茶道具には古来から名器名品といわれているものが多数あり、どこそこの旧家にはこれこれの物があるといった具合で、その筋では夙に有名な品々である。これらの品は市場に出回ることなど絶対に無いと思われていたのだが、それがそうでもないのだという。それも家の身代が傾いたから売りに出されたと思われがちだが、そうとばかりとは言えないらしい。というのも彼の言葉を借りれば道具の方で、「どうもこの家は居心地が悪いなー。」 と思うと、結果売りに出される羽目になるというのだ。これは面白いことを言うと思った。
 茶道具類は実に果ないものでうっかりすれば壊れたり朽ち果ててしまうものだから、それが永々と人から人へと伝えられてきたのはその物の本当の価値を知る人がその時代時代に居たからではなかろうか。勿論高価な道具を保持するには相当の財力が必要だが、同時にその価値を知って珍重し愛用する後継者を作らなければ、名器を保つことは出来ない。実はこれが最も肝心な事で、素晴らしい道具を継承した物は須く、次世代へその道具を継承するに相応しい茶人を育ててゆく義務を負う。もしこの努力を怠れば名器は失われる運命となる。

 以前大英博物館へ行った折り、私は案内してくれた英国人に言ったことがある。「世界中の宝物をこれだけ集めた博物館は恐らく他にはないだろう。しかし良く考えてみるとこの宝物の殆どはイギリス人が世界中から略奪してきたものばかりで、言い方は失礼だが大泥棒の倉庫みたいなもんだね!」すると彼は憤然として言い返した。「さっきのパンテノン神殿の彫刻をご覧になったでしょう。あ れは曾てギリシアに育ったが、ギリシア人自身はその価値を殆ど知らず、酷いことに一時弾薬の倉庫にまでしていたのです。そのために戦争になり爆発して木っ端微塵に毀れ、恰も瓦礫の山のようになっていました。その塵の山をイギリス人が掘り出して再生復元し、今ではこうして博物館に大切に保管され、広く世界にその高い価値を知らしめているのです。芸術作品というものはその価値を知る者だけが持つことが出来るのです。」こうきっぱりと言った。私には返す言葉がなかった。ギリシア人は或る時代にはこんなにも素晴らしい芸術作品を生み出したのに、結局その後、この価値を継承する人材を育てることが出来なかったということである。
 またこれは最近の話になるが、バブル最盛期にはやたらと美術品が売れたそうだ。その頃、或る社長さんから画廊に電話があり、「明日お邪魔して絵を買いたいので、適当なものを何点か見せて欲しい。」と言ってきた。そこで準備をして待っていると、社長さんがやって来てぐるっと絵を見回し、即座に或る作家の絵を指すと、「これを頂きます。」と言った。その絵は画廊の主人の目から見ても秀作で、是非お薦めしたいという作品であった。そこで「伺えば社長さんは絵について知識も趣味もなく、全く分からないということでしたのに、どうしていきなりあの絵を買うと仰ったのですか?」と尋ねた。すると「絵の大きさが家の金庫に入れて置くのに丁度良いからさ。」当時は何処もお金が余っていた時代で、お金で持っているより資産として絵を持っていた方が良い利殖にも成ると考えたのだろう。これに驚いた画廊の主人は「折角こういう良い絵を選ばれたのですから、金庫になぞ仕舞って置かずに玄関に掛けたら如何でしょう。御自分でも楽しめますし、来たお客様の目も楽しませるとことが出来ますよ!」こう申し上げると、「ではそうします。」と言って帰っていった。

それから暫く後、その社長さんが遣って来て、「あれから早速君の言う通りあの絵を玄関に掛けて置いたら、来る客来る客皆口を揃えて、『良い絵ですねー社長は何時からこういう趣味を持たれた のですか。』と褒めちぎられたよ。」それ からすっかり気を良くし絵を眺めているうちにだんだんと「ああ、良い絵だなー。」と本当に思うようになり、結局それ以来絵が好きになって、更に本格的に勉強もして、遂には専門家をも凌ぐ程の目を持つまでになったそうである。つまり先程美術品はその価値を知る者だけが保持できると言ったが、名器名品と言われる貴重なものを受け継いでゆく縁に恵まれた者は、それを良いチャンスとして少しでも目を養ってゆくようにすることだ。このことがひいては自分自身の質を高めてゆくことに繋がるのだ。何百年もの長い間、時代の価値観に左右されることなく、常に珍重され続けてきたのは、それが本物であることの証拠に他ならない。道具でも人間でも同じなのだ。多くの厳しい目に晒されているうちに、相応の品格が出来てくるものなのではないだろうか。

 

 

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