1994年1月 臘八
 
 年が改まると気持ちも新しく成り、風 日の光まで新鮮に思える。時は刻々と流れ、旧年も新年も元来無いのだが、不思議にそうなる。よし、今年はこれを目標になどと、一年の計をたてるのも、それが妙に実感として迫ってくる。
 大抵はその様にして新しい年を迎えるのだが、私にとっての新年は、此処三十年来ずっと二月一日である。スケジュール上そうなるのである。
 僧堂修行はほぼ春三月に始まって、二月一日を以て終わる。これを毎年繰り返し乍ら、十年、二十年と積上げてゆくのである。シンフォニーも、第一楽章から始まって、第二楽章、第三楽章と続き、微妙に変化しながら、一曲が完結するように、修行も一年を四つに分けて、五月の接心から徐々に気持ちを高めて一月の 臘八大接心で締め括る。
 何年もそうしていると、自然に体の方がそのローテーションに馴染んできて、臘八が終わり、これで今年もなんとか無事に修行することが出来たと、ほっと一息付く。そして二月一日、解制、講了を迎え、初めて新年を感じるという訳である。
 だからこの一月は一年の総決算の月で、とてもお屠蘇などを頂いて浮かれている場合ではない。私が修行を始めて、五里霧中から一条の光明を見い出し、修行上の最初の難関を突破したのも、この一月の臘八接心であった。以後の修行の中で、節目節目に大きな心境の変化を来したのも、みなこの一月である。私にとって一月は最も緊張し、真剣勝負の時なのである。
 私は道場入門後、三年程経った頃から、度々胆石痛に襲われる様になった。その後手術をして一応の回復はみたものの、どういう訳か其れ以降も時折激痛があって、何とも厄介な病気を背負いこむ事に成った。その原因は今以て分からないのだが、何れにしても体力勝負の道場の生活は、相当な負担であった。
 そんな中でも結構頑張ったのだが、医者の勧めもあって、この辺で少し養生をしながら修行をした方が良いのではないかと思う様に成り、十何年かの道場での生活に区切りをつけ、鎌倉の小庵に住職した。
 その寺は茅葺の小さな本堂と小さな庫裏のこじんまりした寺で、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、当に草庵の趣のある所であった。其処が気に入って、毎日庭掃除をしながら、時期になると、その都度道場へ出掛けては、一週間程逗留して、雲水と共に接心に参加し、又寺に戻って庭掃除という、そんな繰り返しの何年かが過ぎていった。
 昔から隠居と釣り鐘といって、この世で一番厄介なものの代表をいうが、住職した寺にはその二つともなく、その上檀家一軒も無く、それでいて生活費に不自由無く「焚くほどに風が持てくる落葉かな」晴耕雨読の誠に快適な日々を送っていた。
 しかし次第に心の中にポッカリと穴があいて、そこを冷たい風が吹き抜けてゆく様に成っていった。表面的には毎日が快適で、特別気負いは無く、淡々と修行を続けているにも拘らず、その冷え冷えとして、何とも虚しく、やりきれないおもいは、ずっと心に蟠っていた。
 そんな気持ちを抱きながら、その年も臘八接心に参加した。例年に無く寒さが厳しく、木枯Lがビュービューと吹き抜けていた。衿首や二の腕あたりから、寒気が体の芯まで達した。ああ、寒いなあ、そう思った瞬間、さっと心によぎるものがあった。
 そうだ、此処が結局自分の居り場所なんだ。寒くとも辛くとも、この禅堂の此処で生きて、此処で死んでゆく以外に、自分が充実して生きる所は外には何一つ無いのだ。自然にそう思った。
 冷え冷えとしていた虚ろな心の奥に、ポット燈がついて、その温もりが次第に体中に広がり、何とも言えぬ幸せな気持ちに成っていった。
 傍目からは何不足無く見えても、一個の人間として、内に充足感の無い人生は闇だ。禅堂の中を木枯らしが吹き抜け、ほの暗い電灯が鈍く照らし、唯じっと坐るだけ。そんな所にいったい何の幸せが有るのかと思うかも知れないが、私にとって、こんな心安らかな所は無い。一口に安住の境地というが、それは静に坐って心を落ち着ければ、やがて自然 に開けてくると思ったら大間違えである。自分の内にある醜い心と、闘って、闘い尽くした果てに、微かに見えてくるものである。しかもそれは葛藤し続け、勝ち続けなければ、瞬く間に、又元の木阿弥に成るのである。
 寝だめ食いだめが出来ないと同様に修行だめも決して出来ないのである。「そこに止れば断見外道」という。油断せずにコツコツと毎日修行を積み上げてゆく処が、何よりも尊いのである。
 

 

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