« ハチを忍ぶ | メイン | 八月制間 »

2013年07月27日

起単留錫

今朝は8時半からまず講座があって、終わるとすぐに恒例の起単留錫となる。本堂上間に評席の者が着座、雲水は食堂畳敷きに一列に座って待機。一人一人上間に進み拝をしてから起単か留錫かを答え、留錫名簿に記入する。そこで一制中の行状や精神のあり方に至る様々な忠告を受け、引き下がる。これを一人づつ丹念にやって行くのが起単留錫である。終わると私の所へ評席の者が報告にやって来る。聞いてみると、男僧の方は比較的単純な場合が多いが、尼僧の方は個々に事情が結構複雑で、細かく経緯を聞けば聞くほど、ふ~む~!となる。修行者は誰でも多かれ少なかれいろいろな世俗のしがらみを抱えながら修行を続けて行くわけである。そこで何が自分にとって最も大切なのかを問われている。迷いが生じ修行を断念する場合は、やはりその者にとって間違った人生の選択をしたことになる。今日はそれをはっきり決めて行く日でもある。私も雲水時代夏冬2回づつこの起単留錫を受けてきた。その度に自ら顧み、自分にとって修行の意味とは何かを問い続けた。幸い20年間迷わずに来られた。これは志が堅かったと言うことだが、断念せざるを得ないような世俗のしがらみがなかったと言うことでもある。ひたすら修行してさえ居れば何もほかに考えなくとも良かったという幸せな環境だったと言うことでもある。雲水の起単留錫の様子を聞きながら、改めて感謝の念がわいてきた。

投稿者 zuiryo : 2013年07月27日 14:31

コメント