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2008年05月03日

禁不禁の間

午後、久しぶりに言誌四録の講義を拝聴に出掛けた。以降は受け売り。「世の中が天下太平になると、宴会を催し酒を酌み交わし、歌舞音曲などが大いに流行る。これは誠に愁うべきことだ、こんなことで世の中この先どうなると、厳しく取り締まれば、人々の気持ちは鬱々となり、必ず隠れて悪事をはたらくようになる。結果、却ってより一層様々な害を招く。だから上に立ち人を指導して行く者は、人情を酌み取り、上手に操縦して、中庸を旨とし、人心が余り極端に走らぬよう心掛けることが肝心である。つまり人間には好きなことで興奮し、エネルギーを発散させる場が必要だと言うこと。中でも歌を歌って気を発散させるのは、なかなか良いことで、例え低俗な歌詞で、殆ど益無しというようなものでも、カラオケで歌いまくると、それだけで気分が良くなって、内に鬱が籠もることを防ぐに大いなる効用がある。」と、以上は私の勝手な現代語訳。個人的にはカラオケ何ぞ大嫌いで、宴会が始まるやいなや、次々に自分の十八番を歌いまくり、更に人に歌うことを強要するなど愚の骨頂である。しかし、佐藤一斎先生の言に依れば、大局的な見地に立てば、これはこれでなかなか深い意味のあることだと解った。

投稿者 zuiryo : 2008年05月03日 19:53

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